『数学する精神 正しさの創造、美しさの発見』 加藤文元著 中公新書 は、数学の抽象的な思考の「正しさ」と「美しさに」焦点を当てることで、「人間と数学との関わり」について述べたあまり見かけないタイプの本だ。
数学の証明や公式というとなにか絶対に正しいもので、機械的で非人間的な印象をもたれることが多いが、著者はそうではないという。それらのものも人間らしい活動の手がはいって出来上がったもので時代背景や社会情勢などを反映した仮説的で暫定的なものである。 また、「数学上の記号には意味が不可欠であり、意味が記号を生き生きとさせる。その生き生きとした生命の源に必ず人間がいる以上、それは(程度の差こそあれ)何かの具体性を持つことになる。まさに数学における記号とは、具体と抽象の挟間にある生きた言葉である。」と著者は主張する。 ただ、総論的なことばかりでは「そんなものか」で終わってしまうので、前半の4章を使って「人間と数学について」、後半の4章で「記号と意味について」の記述が実際の数学的な事例を数式もきちんと使って行われている。 取り上げられている題材は高校数学程度の知識があれば十分読みこなせるレベルだ。しかし、その扱い方は受験数学とは全く違う。答えを出すことよりも、どういう視点で考えるのか、どういう意味があるのかというような抽象的な思考の進め方を説明するための材料になっている。 第1部の「人間と数学について」の4章では、まず、具体的イメージと密接な関係を持っていた古代ギリシャ人の数の概念が、代数学の発達により記号としての数という扱いをすることができるようになったことを述べている。そのことで、数学が次第に演算法則の解明など、記号としての数の構造の研究へと重点が移っていった。さらに、無理数や無限小や無限級数を扱うためのモデルとして実数が発明されていく様子や、無限を扱うための数学的帰納法が発明され、さらには数学的帰納法が自然数論の公理として採用されていく過程が説明される。 こうして数は直観的な量から、記号へ、さらに演算法則としての記号の構造へ、有限な数から無限の数や実数の取り扱いへ、そうして無限さえとりこんで演繹される公理体系へと発展していく。その際に、数そのものに対する関心が、数そのものを扱う理論の構造に対する興味へとメタ理論化していく。この数そのものに対する興味がメタ理論的な興味に移ることによって、パスカルの三角形と数式の2項定理の間の関係のように、一見まったく別の理論の間の一致の発見に至る。パスカルの3角形の計算自体はコンピュータにも可能な機械的なアルゴリズムだが、それと2項定理との同値性を見抜くのはメタ理論的なパターンを見抜く人間的な活動によるものだ。 第2部の「記号と意味について」の4章では、パスカルの3角形について、行nと列rを正の整数から、負の数へ、さらに有利数へと拡張していった時、演算規則がどのように保存されまた、拡張されていくのかを述べている。 パスカルの三角形から、特定の行列の要素の規則が導かれるが、その規則を保存したままで行列の数値を自然数から負数、有利数と拡張していくとどういう規則が現れるのかを調べ、具体的な計算から抽象した要素の規則が、その規則を保存しながら拡張したときに、逆に、法則の具体的な意味自体が拡張されていく様子を示していく。 具体例から抽象的な規則へ、抽象的な規則を保存しながら拡張したときに起きる具体例の意味の変化へという具体例と抽象的概念の相互作用を述べていく。その変化の様子はさながら数学的なスリラー小説のようで、具体的で明白だったパスカルの三角形の様相が次々に変化していき、ついには次のような数式が正しいという証明に至るまでになる。 1 + 10 + 100 + 1000 + ...= -1/9 読後の印象としては、「具体的な数を抽象化し記号とすることで、数そのものに縛られない数の構造を取り扱うことができるようになるが、抽象化された記号の意味をもう一度具体的例に引き戻して理解することによって、さらに具体例についても抽象的な記号についても理解が進んでいく。また、数が記号として抽象化されると、その抽象的な規則の性質をさらに抽象化するメタ理論が自然発生的する。その過程の中で、本質的に変わらない法則が発見され、複雑な内容をもつ法則が簡潔な記号として表現された時、数学の抽象的な概念に「美しさ」を感じることができるのだろう。」という気がした。 数学における抽象化の性質は、数学特有のもので他の抽象的な思考全般に適用できるというわけではない。しかし、数学の例を検討することによって、具体例を抽象化して記号や用語に置き換えることや、その抽象化した概念からさらにその記号の構造を抽象化してメタ理論が作られること、また、抽象化された記号の意味を問うという抽象化とは逆の方向への思考によって具体例や抽象的概念についての理解が深められ発展することなど、具体例と抽象的概念の間の緊張関係により抽象的思考が発展していく様子を見ることができる。 いずれにせよ、抽象的な記号の背後の「意味」を問うことで、抽象的な思考の理解が深められるようだ。
by tnomura9
| 2009-04-26 20:54
| 考えるということ
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