インド論理学では、論証の際にその根拠として喩例をもちいる。たとえば、「山の上に煙が見られるから、山の中には火があるはずである。なぜなら、かまどの場合のように煙があれば火があるからだ。」というような論証の仕方をする。論証の根拠として、かまどの場合という事例を用いるのは、現代の論証の感覚からすると危ない気がするが、事例が十分に一般的な法則を代表するものであれば問題ない。
抽象的な問題を扱った文章でも、例示がないと分かりづらい。次のような、用語の定義を抽象的に行う場合も、例示を追加してあると分かりやすい。 変動する認知障害とは、患者さんの注意や覚醒状態によって認知症状に動揺がみられ、とても状態がよいときと明らかに調子が悪い時が交代してみられるものです。たとえば、朝起床時や昼寝の後のように十分覚醒していないときに症状が目立って悪い、起床後しばらくするとうそのように調子がよくなる。、同じ薬を飲んでいるのに調子の良い日と悪い日がみられる、といった具合です。(『知っておきたい認知症の基本』 川畑信也著 集英社新書) この例では、「変動する認知障害」という抽象的な用語を定義するのに、「患者さんの注意や覚醒状態によって認知症状に動揺が見られる場合」という抽象的な定義がなされている。注意、覚醒状態、認知症状、動揺などの抽象的な用語は、その抽象性のため対応する事例が幅広く、実際にどのような場合にこの用語を適用しているのかわかりづらいところがある。しかし、後の例示で、覚醒状態が起床時や昼寝の時の意識状態を表していることが分かり、また、変動が、一日の時間内だけでなく日によっても違うということを示してあるので、この著者が、覚醒状態、変動などの抽象的な概念をどういう視点で使っているのかが分かる。 抽象的な操作は、そう難しいものではなく、日常的によくやっていることだ。たとえば、「あの店は美味しい」などという表現も、実際の料理の味から「おいしさ」という性質を抽象しなければ判断できない。抽象的な用語は使っている当の本人にとっては難しいものではない。その用語の適用範囲と事例を頭の中で容易に検索できるからだ。しかし、それを人に伝える場合には、何らかの事例を通してその事例から抽象される一般的な性質としての抽象概念を伝えなければ、相手にはその概念が伝わらない。ことばで表現してきちんと伝わる可能性があるのは具体的な事例だけだからだ。抽象概念は目に見えないので具体的に伝えることができない。 抽象的な文章が難しいのは、その思考過程が難しいのではなく、抽象的な概念を直接に伝達する方法がなく、一旦その概念を例示として具体化して、その例示に内在している抽象性を伝達しなければならないからだ。 例示は抽象概念に慣れていない読者に対するサービスではなく、抽象的な概念を的確に伝達するために必須の要件なのだ。
by tnomura9
| 2009-04-18 06:42
| 考えるということ
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