「リンゴ」という言葉を聞いた時どう理解しているだろうか。「りんご」という言葉で反射的に赤いリンゴの像を思い浮かべるかもしれない。また、アップルパイを食べたときのにおいや甘みを思い浮かべるかもしれない。いずれにせよ、「りんご」という言葉をきっかけに反射的に想起したイメージでその言葉の内容を理解している。
それでは、「勇気」という言葉の場合はどうだろうか。ちょっと漫画的なイメージだが、不良にからまれている少女を助けようとしてぼこぼこにされたところを想像するかもしれない。ただ、「勇気」というものは、そういう直接的なイメージではなく、「身の危険を顧みず、正しいと思ったことを実行する。」というような、この例や他の例に共通する抽象的な意味を表している。 しかし、抽象的な意味はもはや視覚的なイメージとして思い浮かべることはできない。「勇気」というような抽象的な意味は、直接的な視覚的イメージにすることができないからだ。そうはいっても、上の例のような具体的なイメージがなければ、目に見えない抽象的な「勇気」の意味も浮かび上がってこない。抽象的な意味は、具体例とその具体例から喚起される抽象的な意味の抽出という二段階で理解されるとは言えないだろうか。 「勇気」というのはまだ身近な気がするが、「全単射」という言葉はどうだろうか。 その、具体例として、男子と女子のグループから、フォークダンスのペアを作るところを想像してもよい。一人の男子に一人の女子をパートナーとして割り当てるとする。一人の男子に二人の女子を割り当てることはないから、これは「写像」だ。また、二人の男子が同じ女子をパートナーにすることはないので、これは「単射」になる。また、どの女子をとっても、その相手である男子がいるので、「全射」である。「全射」で「単射」なので、この組み合わせ方は「全単射」である。 また、全ての女子はパートナーの男子がいるが、ある女子のパートナーはある男子になるが、ほかの男子ともペアになっているということはないので、すべての女子はただ一人の男子とペアになっていることになる。全ての女子のパートナーの男子がひとりだけ決まっており、すべての男子もひとりだけの女子をパートナーとしているので、結局男子と女子の総数は同じになる。 こうなってくると、具体例のあるほうが、かえって繁雑になって分かりにくい感じがする。抽象的な概念は、目に見えないので、具体例で確認する必要があるが、具体例で煩雑になる部分を抽象化することで逆に見通しが良くなる場合もある。 いずれにせよ、抽象的な概念を理解するためには、反射的なイメージだけではなく、そのイメージが持つ意味を理解するために、具体性と抽象性の間を行ったり来たりする必要がある。
by tnomura9
| 2009-04-13 07:31
| 考えるということ
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