龍樹が導出したパラドックスはどのようにして導き出されたのだろうか。はたして、それは論理の性質だったのか、それとも他の理由でパラドックスが発生したのだろうか。それを知るために龍樹が『中論』で述べた、原因と結果の間の関係(因縁)のパラドックスについての議論を見てみよう。
これらのもの〔A〕に縁って〔結果が〕生ずるのであるという意味で、これらのものが縁であると、人々はいう。しかし、〔結果が〕生じない限りは、これらのもの〔A〕は、どうして〔縁でないもの〕でないということがあろうか(それらのものは縁ではないのである)。 ものが有るときにも、無いときにも、そのものにとって縁は成立しえない。〔何となれば〕ものが無いときには、縁は何ものの縁なのであろうか。また、ものがすでに有るときには、どうして縁の必要があろうか〔そのものは、すでに有るのであるから、いまさら縁を必要としない)。 (『竜樹』 中村元著 p.321) 上の議論をもう少し形式的に表現してみよう。 1)原因が縁によって結果を生じると仮定する。 2)結果は存在しない場合と、存在する場合の二通りである。 3)結果が存在しないならば、原因は結果におよぼす縁をもたない。 4)なぜならば、何もないものに縁をおよぼすことはできないからだ。 5)結果が既に存在する場合、結果は縁をおよぼされているとは言えない。 6)なぜならば、結果はすでに存在しているので原因の縁を必要とはしないからだ。 7)ゆえに、原因が結果を生じるような縁は存在しない。 みごとに、因果関係が否定されてしまったが、ここで働いている論理的な関係は、 2)の結果は存在しないか、存在するかのどちらかであるという排中律と 3)、4)の三段論法の形式と 5)、6)の三段論法の形式 だけである。論理はあくまでも議論の形式を整えるために使われているだけであって、3)、4)の三段論法の何もないものに縁を及ぼすことはできないという大前提は、現実の経験の比喩として推測されたものでしかない。哲学の議論というのはこのように、現実の経験から比喩を使って推測した帰納的な法則を使って推論を行っているのだ。つまり、パラドックスを発生させる犯人はこのような帰納的に推測された法則であって、論理ではないのである。 しかし、比喩を使った帰納的法則がすべて意味がないというわけではない。それが、十分に一般性を持っていれば大前提として用いることに不都合はないのだ。 上の議論では、原因は存在しないものに縁を及ぼすことはないという前提で推論されているが、原因が存在しないものに縁を及ぼすことができる可能性はないわけではない。動いている物体と静止している物体はその物体の瞬間の位置を比べるだけでは区別がつかない。しかし、動いている物体は速度を持っており、微小な時間が経過した後の両者の位置は異なってくる。つまり、同じ瞬間に一方が動いているか、動いていないかの区別はできないが、動いている物体は、微小な時間後の自分の位置の変化の情報を持っているという点で、まだ存在していない自分の移動位置に縁を及ぼしていると言うことができる。 おなじように、物体の速度の結果として違う位置に移動した物体は、もとの位置にあった自分の速度の情報を引き継いでいる。すなわち、現に存在しているものに過去の縁の影響が残っていることになる。 したがって、ナイーブに原因結果の縁はあり得ないと結論することはできない。 しかし、この場合も困難がなくなるわけではない、移動する物体は一体どの時点でその位置を変えるのかという疑問が発生するからだ。動いている物体はある時刻にその場所に存在すると同時に存在しなくならなければ、そもそも移動というものは発生しない。変化を哲学で論じるのはやはり難しいのだ。 あまり深入りしないうちに本題にもどるが、ここで、言いたいことは、哲学の結論の妥当性は論理の性質によるのではなく、その際に提示される、帰納的に推論された法則によるものだということだ。そう考えるといろいろな哲学的な議論の見通しが良くなり、理解しやすくなる。また、微分も積分も存在しなかった時代に、変化というものの論理的な取り扱い方の難しさに気がついた龍樹は天才的だったと言えると思う。
by tnomura9
| 2009-03-26 19:19
| 考えるということ
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