インド論理学でネット検索をしていたら、インド論理学の古典的な教科書『ニヤーヤ・スートラ』の成立の過程についての面白い仮説を見つけた。石飛道子氏の『龍樹とインド論理学の誕生』という記事がそれだ。
詳しくは記事を読むと分かるが、『ニヤーヤ・スートラ』はカニシカ王の侍医であった内科医チャラカに帰せられる『チャラカ・サンヒター』という医学書の論理学についての記事に対する、龍樹(ナーガールジュナ)の突然の激しい攻撃に応戦する形で作られたというのだ。この論戦が激しかったため論述の弱いところは徹底的に検討され、結果的に短期間のうちに古典的な論理学書が完成した。 詳しいことを書くとネタばらしになるのでこの辺でやめておくが、インド論理学というような堅い話にも、見方によっては小説のように面白いものがあるのだなと感心した。 龍樹の『方便心論』での論敵の扱い方が、シニカルで小気味よいのでどんな人だろうと検索してみたら、Wikipedia に龍樹の項目があり、その伝記が引用されていた。 龍樹菩薩伝の伝説は以下の通りである。この伝説は学者によっては鳩摩羅什作とも主張されており、真偽のほどは定かではない。(この他にも諸伝が存在する。) 竜樹は抜群の論理的センスを持ち合わせていたようだ。そうして、仏説に魅力を感じながらも論理的に整理されていないと感じ、仏説の論理的な体系を構築したいと考えていたように見える。 また、蓮の池と白象のくだりは、龍樹とニヤーヤ学派の学問的な死闘を示唆しているのだろう。この伝記を信じると龍樹もやはり宮廷に出仕していたようだ。そう考えると、マスメディアも印刷術もない時代の論争があまりに迅速に行われたことについても納得できる。 竜樹が論理というナイフをどのように巧妙に振るっていたのか、また、粋な論理的思考法についてどう考えていたのか、興味が掻き立てられる。 龍樹という人は、やはり破天荒な、魅力的な人物だったようだ。
by tnomura9
| 2009-03-19 15:17
| 考えるということ
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