古代インド論理学の教科書『ニヤーヤ・スートラ』では、16の論理学の主題を挙げている。
知識手段・知識の対象・疑い・動機・実例・定説・支文・吟味・確定・論議・論じょう・論詰・擬似的理由・詭弁・誤った論難・敗北の立場の真理の認識によって、至福の達成がある。(『ニヤーヤ・スートラ』 第1篇・第1章・第1定句) このうち、「論議」以下の7つは全て討論の際の技術的な解説になっている。たとえば、「敗北の立場」は、論争でどのような事態に追い込まれた時に敗北と見なされるかのルールのようなものである。「敗北の立場」として、対論者の主張内容を理解できないこと・難詰されるべきでないものを難詰すること・難詰すべき者を見逃すこと・論証支の欠如・論証支の過多・首尾一貫性を欠く言明・無意味な言明・無意味な繰り返し・自己矛盾を挙げてある。 これをみるとインドの論理学の主な目的が論争にあったことが分かる。インドの論理学では命題は絶対確実な真理として演繹されるものではなく、議論のたたき台としての提案である。ある一つの命題が提示されると、それに対し賛成反対の両派で議論が戦わされ、どちらかが敗北と決定されるまで続けられる。 絶対に確実な定理を追及するというよりは、提示された仮説にたいし討論していくうちに真理に近づいていくというやり方だ。命題の真偽に対するこのようなアプローチは、どちらかというと科学的な理論を検討するときの手順に似ている。 西洋型の論理学的な発想に慣れていると、つい絶対確実な真理のようなものを追及しがちだが、論理的な命題をあくまでもたたき台としての提案と考える見方は新鮮な気がする。病気の診断なども主治医が変わって視点が移動すると、あっさり解決したりすることがある。診断という論理的な思考の結果を絶対確実なものととらえてしまうと袋小路に陥りかねない。結論はあくまでも提案であるというオープンな考え方はそのような行き詰まりを防いでくれるのではないだろうか。
by tnomura9
| 2009-03-17 07:35
| 考えるということ
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