人気ブログランキング | 話題のタグを見る

大前提

ニヤーヤ・スートラでは推論を3種類に分ける。一つは、現在の知覚から過去の出来事を推理するもの(プールヴァヴァット)。たとえば、現在の妊娠から過去の性交渉を推理する場合だ。二つ目は現在の知覚から未来の出来事を推理するもの(シェーシャヴァット)。種をみてそれが芽を出すことを推理する場合。三つ目は現在の知覚から同時に発生している知覚できていないものを推測する場合(サーマーニャトー・ドリシュタム)だ。煙をみて見えない火の存在を推理するような場合だ。いずれも目に見えている事柄から、目で見ることができないことを、三段論法でいう大前提から推理する。

三段論法の推論では、大前提が決まれば、小前提から結論が自動的に推理できる。大前提は「すべての人間は死ぬものだ」というような全称命題になる。現代の論理学では、こういう全称命題については、反射的に「死すべきものの集合」が「人間の集合」を内包しているというモデルを作ってしまう。しかし、現在の事象から過去の出来事を推理したりなどという例で、このような集合の包含関係でモデルを作るのは難しい。

インドの論理学では大前提はある目に見える出来事と別の出来事の分かちがたい結びつきという捕らえ方をしているようだ。原因結果の結びつきや牛と牛の角のような全体とその部分の結びつきなど、包含関係にこだわらず不可分な結びつきのあるものはすべて大前提として利用している。不可分な結びつきを知っていれば、一方を確認すれば、他方の存在は確実なものとして推測することができるからだ。

たしかに、すべての人間が死すべきものの集合の要素でもあれば、人間が死ぬということを絶対確実に推理することができる。しかし、目の前に花があれば、その元となる種が存在したということも推理できるのだ。数学をモデルとして論理学を考えると、公理から論理的な演繹で絶対確実な定理を導き出すということが論理的な思考方法なのだという考えにとらわれやすいが、単に、二つのものが分かちがたく結びついているとき、その片方が存在すれば、もう片方の存在を推理できるという論理的な推論のほうが応用範囲が広いのではないかという気がする。

述語論理の精密さは、数学の体系を演繹するのには有力な武器となるが、単に二つの不可分な結びつきから、一方を確認したとき他方を推理するというような、インド論理学の推理の方法も捨てがたい。西洋の論理学だけでなく、インドの論理学という別の視点の論理学が存在することによって、論理的な推論をいろいろな見方で理解できるのはありがたい。
by tnomura9 | 2009-03-08 11:02 | 考えるということ | Comments(0)
<< 見えないものを見る 推理 >>