本を読むのに文法が有効だと言ったが、文を形態素に分解しその構造を調べるというような統辞論的な方法を使うわけではない。文の持つ階層構造に着目するのだ。
つまり、一つの文には、主部と述部がある。主部の中には通常1個の主語があり、それに詳しい限定を与える形容詞句がある。さらに形容詞句の中にも構造があり、時にはその中に文が含まれることもある。述部のほうも一個の述語があり、その意味を限定する副詞句があり、さらにその副詞句の内部にも階層的な構造がある。つまり、一つの文は主語と述語から構成され、それらには、階層的な下部構造がぶら下がっているのだ。 したがって、文の中で主語と述語を発見すれば、それを契機として自然に文の階層構造にアクセスすることができる。つまり、主語と述語を発見することによってその文の持つ情報の階層構造の入り口を発見することができる。そうして、そこを手掛かりにすれば労せずしてその文の情報を頭の中に再構成することができる。 文はこのように、階層的に構成された情報のチャンクなので、主語と述語を発端として内容を検索するのが効率的だ。 一方、文と文をつないでいるのが接続語だ。接続語としては、接続詞だけでなく、指示語や簡単な前置きのようなものも文と文をつなぐ糊となっている。それだけでなく、接続語は文と文の内容の論理的関係を示すので、文の結合である段落の論理構造を解析する手段となる。「したがって」、「しかし」、「たとえば」、「それについては」、「つまり」などの接続語を見れば、そのあとにどういう内容が来るかを予測することができる。主語と述語が文の情報検索の発端とすると、接続語は文章の構造を発見するための発端となる。 このように、主語述語および接続語に注目することで、文章の構造を労せずして解明することができる。技術系の文書の読解に文法が有用だというのはそういう意味だ。
by tnomura9
| 2009-02-14 06:07
| 考えるということ
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