記号論では、記号を「それ自身ではないものを指し示すもの」と定義する。
参考書のキーワードについてもそうで、たとえキーワードに下線を引いても、そのキーワード自体が意味を持っているわけではない。意味があるのは、書き手がそのキーワードに託した内容だ。もっと厳密にいうと、書き手がそのキーワードに託した内容を読み手が推測し、読み手の頭の中に構築した知識のネットワークに意味がある。 つまり、キーワードを見て様々な考えが読み手の頭に浮かんでこないなら、キーワードの下線には意味がないことになる。 一般的には、キーワードに下線を引くのは何のためにするかというと、後で本を読み返した時にポイントを思い出しやすいようにするためだ。しかし、本を読みながら常に思考を下線を引いたキーワードに引き戻し、連想のネットワークのルートに戻ることによって連想の流れを整理していくやり方のほうがもっと効果があるような気がする。 したがって、キーワードの下線は、極力少なくする必要がある。そのキーワードを発端として湧いてくるいろいろな連想や、本に記述してある内容の流れを整理するためにも、連想のもととなるキーワードの数は少ないほうがいい。 後で読み返すための目印としてのキーワードより、思考を集中させるための起点としてのキーワードの利用のほうが密度の高い読書をするためにより有効なような気がする。
by tnomura9
| 2008-11-09 20:02
| 考えるということ
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