このところ Ruby のプログラムの記事ばかり書いている。集中してプログラミングに関する作業をしているうちに、プログラミングは語学との共通性が多いということに気がついた。
英文の読解をするのに必要なのは、単語の知識と文法と用例の知識だ。単語の知識を明確にするための道具は辞書だし、文法の知識は文章の構造を知るのに不可欠だ。しかし、用例をたくさん知っていなければ語学を実用的に使うことはできない。 プログラミングもそうで、プログラム言語の単語と文法の知識と、snippet などの用例の三本柱でプログラム言語を習得し、プログラムを書けるようになる。 したがって、プログラムが読めないときは、キーワードの定義や意味を理解しているか、キーワードの並びかたの文法を知っているか、そのキーワードを使用する用例を思いつくことができるかと三つの要素に分解して、今自分がどれが足りないために理解できないのかと自問自答すると自然に分かるようになる。 また、単語・文法・用例の三本の柱はプログラム言語の習得に限らず、技術書を理解していくときの基本的な要素だ。技術書の場合はプログラム言語と違って文章を理解するのに特別の工夫はいらないが、用語の定義とその適用範囲をしっかり把握すること。用語の表す概念の間の論理的な構造を把握すること。それらを使った応用例をたくさん知っていることという3点には共通点が見られる。 結局のところ言語という記号でコミュニケーションを図るということが、言語にも、プログラミングにも、技術書の読解にも共通している。つまり、言語という記号には本質的に意味はなく、言語という媒体を解釈することによって意味の伝達が行われるということによる特徴だ。本来無意味な記号を、意味を運ぶ媒体として利用するために本質的な要件が、単語の定義、単語間の構造である文法の認識、そうして、記号と意味との直接の関係の見本である用例という三つの要件で構成されているのだ。
by tnomura9
| 2008-10-31 07:58
| 考えるということ
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