新聞のコラムに書いてあったのだが、新聞の編集長で類型的な表現に厳しい人がいて、若い記者が、「衝撃が走った」などと書いて持っていくと、えらく叱られて、『衝撃』と書いた紙を背中に貼られていたということだ。
新聞記事の文章のようなプロフェッショナルなものでも無限のバリエーションがあるわけではなく、有限な表現のストックのなかから選ばれているのだ。 知識は、少々の量では役に立たないが、かといって、無限の量が要求されるわけでもない。非常に大量ではあるがある量に達すると十分実用になる。この必要十分量を把握するということは大変なことだろうが、しかし、これが把握されていれば自分の知識がどのレベルにあるのかを把握できるようになる。 日本の英語教育では10年たっても会話一つできるようにできないのは、この知識の総量の把握が明示的になされていないからではないだろうか。日常会話程度からビジネスまでのさまざまなランクで単語と、例文と、聞き取りのための音声情報のスタンダードなリストがあればどの程度の知識の量をマスターしているのか把握することができる。項目が多量になるとはいっても辞書の厚さにはならないだろう。 任天堂の「英語漬け」「もっと英語漬け」などは、このスタンダードリストの試みのひとつと考えてもよいのではないだろうか。このような網羅的なリストがたくさん出てきて、そのなかから真に実用的なスタンダードリストが生まれてくれば、語学習得の効率ももっと上がってくるのではないだろうかと思う。 なんだか、コマーシャルの文章のようになったが、管理人は任天堂とはまったく関係ない。
by tnomura9
| 2008-08-22 16:59
| 考えるということ
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