役に立つ知識を身につけるためには、応用の効く知識を気が遠くなるほど大量に身につけなければならない。それが現実だ。
大学受験のハウツーでは、限られた時間の中でいかに少ない労力で試験に合格できる知識を習得するかということに重点が置かれているように見える。できるだけ、少ない知識で目的を達成させるかということだ。これもある意味の最適化だ。 しかし、実社会に出てもこのような態度で仕事をしていたら本当にいい仕事はできない。上手に仕事を切り上げて、適当に余暇を楽しんでそこそこの社会的地位も楽しんで、この世から引退していくことになる。それも、絵に描いたような人生で捨てがたいものがあるが、到底一生のうちにはやり果せないだろう挑戦をしてのたうち回るのもまた面白いのだ。 大量の知識や、高度な判断を要求される思考力に挑戦するためには、自分の手に余る大量の勉強を恐れない態度が必須だ。これをやるためポイントがいくつかあるような気がする。 ひとつは、自分を他の人と比較しないこと。自分にどれだけの力がついているかなどということを考えないことだ。自分にはこれだけの物があると考えた途端に先へ進む気力がなくなってしまう。無限に先に進むためには、比較など無用の労力なのだ。 もうひとつは、大量の知識を一度に習得しようとしないこと。人間は疲労する動物なのだ、大量の勉強を集中してやったら死んでしまう。どんなに大量の勉強であっても、分割して少しずつ実行していかないといけない。小さなことからコツコツとだ。 三つめは現場にどっぷりと浸かること。ほんとうに大切な事は書物には書き表せない。言語化されない情報は現場からしか得られない。自分が今やっている仕事を見渡せば、本には代えられない現場の一次情報や知識を持った先輩がいかに豊富に存在しているかが分かるだろう。もし、他の仕事をしていて本当は哲学を自分のライフワークにしたいと思っているのなら、商売がえをすべきなのだ。片手間は所詮片手間の成果しかあがらない。 四つ目は細部にこだわること。神は細部に宿る。細かいところに注意がいっていないのは、本気ではない証拠だ。 本当に思考力を身につけたいのなら、思考法などのテクニックを習う前に、大量の情報をおそれない勇気と、小さな事を積み重ねる素朴さと、細かな事をも見逃さない仕事にかける情熱を自分が持っているかどうかを検討すべきだ。 一見精神論のようだが、実効的な思考法は質の高い基礎教育と現場への取り組みの真摯さとの結合からしか生まれないということだ。
by tnomura9
| 2008-08-01 08:14
| 考えるということ
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