家具製作にしても、時計の修理にしてもそれ専用の道具がある。だれも家具製作の道具で時計を修理しようとはしないだろうし、その逆もそうだろう。ところが、思考法になるとついこの原則を忘れてしまいがちになる。
思考法だって、何に使うのかで道具立てが違うのだ。戦争のための思考法が、新薬の開発に役立つわけがないのだ。ビジネス書の思考法が役に立たないのは、それを何に使うのかを考えていないからだ。ノコギリの引き方を一生懸命覚えてうまくなったとしても、野菜を育てるのが上手にはならないだろう。 思考法を何に役立てるのかをはっきりと自覚しておかないと、結構大変な学習のための労力と時間を無駄に使うはめになる。 新しい酒は新しい革袋に入れるべきなのだ。
by tnomura9
| 2008-07-31 08:22
| 考えるということ
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