『知らぬは我が身ばかりなり』というタイトルで、「要するに思考法なんぞを問題にしているのは、他の人がとっくに知っていることを知らないからなんだ」という結論の文章を書こうと思っていて、ふと思い立って『知らぬは我が身ばかりなり』をキーワードで、グーグル検索してみた。
検索結果をあれこれ読んでみたら、自分が書こうとしていたものよりこっちの方がよっぽど面白かった。 本当に、『知らぬは我が身ばかりなり』だった。 ・・・と、これで終わってもよかったのだが、ちょっと思いついたのは、自分が知っていることを確認する事も大切だが、自分が何を知らないのかを検討してみることも大切なのではないかということだ。何を知らないかを知っていれば、知るべきなのか、知らないで済ませても構わないのかが見えてくるので、戦略も立てやすくなるだろう。 「自分が知らないということを知っている」というのは大切なスタンスだ。 聖書に「もし、あなたが何かを知っていると思ったら、あなたは知らなくてはならないことのほんの一部も知らないことをわきまえるべきである。」と書いてあるし、ソクラテスはまわりの人が何も知らないことを知らせることに全力を尽くして殺されてしまった。 昔の人のこうした逸話も知らなかったら、自分で苦労して発見して人世訓として吹聴していたかもしれない。やはり、『知らぬは我が身ばかりなり』なのだ。
by tnomura9
| 2008-07-29 07:53
| 考えるということ
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