共感覚を持っている人たちがいる。共感覚とはモダリティの違う感覚同士のクロストークのことだ。つまり、赤い色を見たときにいちごの味を感じるのだ。思い出すのではなく、赤い色と同時にいちごの味が感じられる。こういうひとたちは、バナナの味のする音や、薔薇の匂いのする色を感じたりする。
こういう共感覚を持った人の中には、記憶力の優れた人があって、物心ついてから現在までの記憶を映画のように思い出すことができる。 トロイの遺跡を発見したシュリーマンは語学の天才だったが、小説を大声で音読、暗唱して覚えたそうだ。また母国語のひとに自分の朗読を訂正してもらっていた。 英語漬けで、英文をICレコーダーで聞いているだけの時より、内容が頭に残る感じがするのは、感覚のモダリティを総動員するからかもしれない。さらに、問題が音声として与えられるために、社会性という一種のモダリティもそれに参加している可能性もある。 英語漬けの問題を終了した時にCNNが聞き取れるようになっているとうれしいのだが。
by tnomura9
| 2008-07-28 00:26
| 考えるということ
|
Comments(0)
|
カテゴリ
新型コロナウイルス 主インデックス Haskell 記事リスト 圏論記事リスト 考えるということのリスト 考えるということ ラッセルのパラドックス Haskell Prelude Ocaml ボーカロイド 圏論 jQuery デモ HTML Python ツールボックス XAMPP Ruby ubuntu WordPress 脳の話 話のネタ リンク 幸福論 キリスト教 心の話 メモ 電子カルテ Dojo JavaScript C# NetWalker ed と sed HTML Raspberry Pi C 言語 命題論理 以前の記事
最新のトラックバック
最新のコメント
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||