いままでいろいろなハウツー本を読んできたし、自分でもチップスを考えてみたが、どれもあまりうまくいっているとは言えなかった。その理由がわかった。
今までの方法は暗黙の前提が「勉強のためにまとまった時間がとれる」ということではなかったのだろうか。 ところが、実際には物理的に勉強のためのまとまった時間を作ることは難しいし、集中力も長時間は続かない。勉強しようと思ってもそれは、どうしても細切れの断片的なものになりやすいのだ。いままでは、統一のとれていないバラバラで断片的な知識を取り扱うという意識がなかったために、どんな方法を習っても続かなかったのだ。 『情報は1冊のノートにまとめなさい』を読んでから、日常起きるいろいろな出来事、例えば始めて飲んだウィスキーの銘柄とか、A6版のノートに片端から記録するようにしているが、思いついたけれど忘れてしまっていた情報や、アイディアを残すことができるようになってきた。 本を読んでいて分かったような分からないような気分になることがあるが、そんな時も、自分で理解したと思える要点を本を見ずに思いだし書きでこのノートに書き込むようにしたら、頭の中がずいぶん整理されてくるのに気づいた。 整理された記録をとるためのノートもあるだろうが、本を読んで理解をするためだったら、ノートに書き写すよりも自分の頭の中にどういうイメージができているのかを書いてみるほうが有益ではないのだろうか。細かい情報は本を見直せば書いてあるのだから、わざわざノートに写す必要はない。思いだし書きのほうが有効だ。 日常に発生する全ての断片的な情報を全て一冊のA6版のノートに記録する「どこでもノート」と頭の中に何が入っているのかを確認するための「思いだし書き」のコンビは強力な学習法だ。
by tnomura9
| 2008-07-12 07:35
| 考えるということ
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