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「考えるということ」の構造

チェスのチェックメイト問題をモデルにして、「考えるということ」とは何かを考えてみた。

「考える」ということにはどんな要素があるだろうか。まず考えられるのは、人がものを考えるとき、最初に問題提起があるということだ。解決しなければならない問題が発生したときはじめて、考えるという活動が発生する。そうしてその目的は問題の解決である。また、問題が発生したとき、必ずそこには問題を発生し解決を必要としている思考の対象がある。したがって、考えるということには、少なくとも次の三つの要素がある。


  1. 問題提起
  2. 思考の対象
  3. 問題の解決


これはまた、入力と出力を持つブラックボックスにたとえることもできる。つまり、問題提起を思考の対象に投入し、そこから問題の解決を引き出すのだ。つまり、つぎのように、問題提起から思考の対象の分析、問題の解決へと一連の流れがあることが分かる。

問題提起 → 思考の対象の分析 → 問題の解決


思考活動とは、このように問題提起によって思考の対象のある部分に照明を当てそこから問題の解決を取り出す操作なのだ。思考の対象は一般に巨大で複雑でありそれを一度に分析しつくすことはできない。問題提起によって膨大な量と複雑さをもった思考の対象の一部に光を当て必要な問題解決法をとりだすのである。混沌とした思考の対象に対し、問題提起によってそのなかの構造の一部に光を当てることによって、問題解決という収穫を得るのだ。よい問題提起をすれば半分は解決したようなものだとよく言われるのはそのためだ。

しかしながら、考えるということの成否は、この混沌とした思考の対象をどう分析していくかということにかかっているのは明らかだ。「考えるということ」の分析の次の段階は、この思考の対象をどう分析しているのかを明らかにすることだ。思うに、思考の難しさをもたらしているのは、ひとえにこの思考の対象の複雑さなのだ。思考の難しさの程度は、この思考の対象の複雑さに比例している。

それでは、なぜ思考の対象は複雑になってしまうのだろうか。それは、思考の対象は内部的にはシステムを形作っているからだ。すなわち、単なる要素の集まりではなく、要素間の相互作用が絡み合ったシステムを形成しているのだ。したがって、これを分析する際に、個々の要素の性質を明らかにするだけでは足りない。要素間の相互作用がそれぞれの要素にどう作用しているのかも考えなくてならないのだ。

したがって、しっかりと考えるためにまずしなくてはならないのは、思考の対象を構成する要素をはっきりとさせることだ、もちろん、その要素自身を発見することが問題となっている場合もあるだろうが、その場合にも仮説的な要素を仮定しなければ考えは進まないだろう。

個々の要素の性質を明らかにするのはそう難しいことではないだろう、チェスの駒の動きは単純で覚えるのにはそう苦労しない。しかし、すべての駒と駒の動きによって予想される局面の変化を考えたときに、起こりえる局面の数が爆発的に増大してしまう。思考の対象を扱うときにまず直面する困難は、この要素の組み合わせの爆発的な増大傾向だ。これを、「組み合わせの可能性の爆発的増大の問題」と呼ぶことにしよう。

システムとして思考の対象をとらえたとき、つぎに直面する困難は、要素間の相互作用のシステム全体に及ぼす影響の把握の難しさだ。システムの要素は単独で存在しているのではなく、要素と要素の相互作用から構成されている。したがって、ひとつの要素を変化させたとき、システム全体が大きく変化してしまうこともある。いわゆる「バタフライ現象」だ。複雑系の研究の進歩でも分かるように、個々の要素の性質からは大域的なシステムの振る舞いが全く予測できないことが多いのだ。これは、「要素間の相互作用の大域的な振る舞いの問題」だ。

最後に考えられる思考の対象を分析するときの困難は時間である。システムの要素間の相互作用を静的に解決したとしても、時間がそれを変化させてしまう可能性が出てくる。たとえば十分に構造計算されてできた建物も材料が劣化することで思いもよらない変化が出てくるかもしれない。あるいは同時多発テロのときの世界貿易センタービルのように全く想定外の影響が発生するかもしれないのだ。未来を確実に予測する方法はないのである。

このように思考の対象をシステムとして把握することで、「要素の組み合わせの爆発的増大の問題」、「要素間の相互作用の大域的な振る舞いの問題」、「時間の変化により発生する問題」の三つが思考の対象の分析の困難をもたらしていることが分かる。これに対する特効薬はない。また、ヘーゲルの弁証法の冴えをもってしても、複雑系の動作のほんの一部しか説明できていないように思弁的な思考の限界もある。

悲観的な結論になってしまったが、答えの出ない問題に直面したときに、思考の対象をシステムとして把握しているかどうか。また上に挙げた困難のどれが原因となっているかを考えてみることは有益ではないかと思う。

思考が扱う思考の対象は、本質的な複雑さをもっている。思考の醍醐味はこの複雑さの中に法則性を見出すことによって情報の圧縮を可能にし、そこから有益な問題解決法を見出すことだ。直感は意識的な思考より、多くの複雑性をあつかい、その法則性を見抜く力があるような気がする。しかし、直感だけに頼る思考もあぶない思考だ。思考の対象をシステムであると意識することで、直感が導き出した解決法にどのような利点があり、どのような危険性があるのかを意識的に分析することが大切だ。
by tnomura9 | 2007-10-08 09:39 | 考えるということ | Comments(0)
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