今日は書くことがないので、岩井寛著「森田療法」(講談社現代新書)からの引用を紹介する。
神経質(症)の苦しみのさなかでは、対人恐怖症のように人間関係にとらわれたり、不安神経症のように自己の身体不調にとらわれたり、強迫神経症のように縁起や雑念にとらわれたりするが、それは視野が狭小化され、自分のこと以外に目が向かなくなり、自分の症状以外に関心がなくなっていくからである。そこでは、往々にして他者に対する配慮や、自分と社会、あるいは文化との関係など、自分を包んでくれる大きな存在との関わりを無視してしまいがちである。 自分の不幸に苦しんでいるときは、ある意味神経症の患者とおなじ心理状態に陥っているのかもしれない。苦痛を回避しようとしてもっと苦痛を招くような状態に陥ってしまうのだ。視野が狭くなり、他の見方や生き方があるのを考えられなくなってしまう。勇気を持って自分の苦痛にしっかりと向き合うことができたとき、はじめて、広い世界が開けていることや、自分だけで生きているのではなく、自分の生というものも他者によって支えられていることに気がつくようになるのだ。
by tnomura9
| 2005-05-21 08:17
| 幸福論
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