昨日、参考書を路線図ノートでマッピングした後、キーワードに下線をひいた。今日、参考書に下線を引いた部分を見返してみたら、ぱっと見て内容を思い出せなかった。マッピングを見返したら、すぐに思い出したので、忘れていたわけではないようだ。ただ、その部分の意味というか、構造が思い出せなかったのだ。
参考書の記事のままでは、キーワードに下線が引いてあったとしても、無構造の情報の塊にしか見えない。キーワードは、他のキーワードとの関連がはっきりしなければ、その意味が見えてこないのだ。マッピングを併用することで構造が見えてくると、個々のキーワードの意味も明確になってくる。 とは言っても、構造図も複雑になってくると、その意味が理解できなくなる。マインドマップを作っても、それを文章化しないと意味が分からないという逆の現象がおきる。なぜそういうことになるかというと、マインドマップ風のマッピングだと連想が発散してしまって、全体的なつながりが無くなってしまう危険性があるからだ。 また、構造図もあまりに複雑なものは理解できないので、大きな構造図は、部分的に理解して、それを繋ぎ合わせて理解しないといけない。これは、脳のワーキングメモリーが最大7つ以上の項目しか保持できないからだろう。 最近の本を読むと、長期記憶と短期記憶は独立して働いているらしい。短期記憶だけでもある程度のまとまった行動はとれるが、長期記憶に固定化されない限り記憶がすぐに失われてしまうので、同じ人に逢っても毎回初対面のような振る舞いをする。また、短期記憶の容量は少なく、認知の研究からは、一度に認識しできる項目は7つ以下であると言われている。実際、分かりやすいプレゼンテーションをするためには、適切な間をとって、立て続けに話さないようにすること、重要な説明をした後は、聴講者が理解するためにしばらく間をおくことなどを薦めている本がある。 このように短期記憶には、容量が限られているものの論理的な推論のような情報処理の能力が備わっていると考えられる。外部からの情報はいったん短期記憶に保持されて、一定の情報処理を受け、それが長期記憶に固定化されているのだ。逆に、長期記憶からの情報も一旦短期記憶に移されて、それから、意識の上に上るということもありそうなことだと思われる。 これらのことから考えて、人間が情報を理解するときに、過去の情報も現在の情報も一度短期記憶という場に取り出されて処理されるのではないかと思う。コンピュータとのアナロジーで行くと、短期記憶はCPUに相当し、外部からの入力や、長期記憶は、IOやメモリーに相当すると考えてもよいかもしれない。要するに、現在の情報も過去の記憶も一度短記憶の場に引き出されて処理されないと、意味が分かったという感情が湧かないのではないだろうかということだ。 そうであれば、現在の情報も過去の情報も、短期記憶の情報処理の性質を分かって処理を行わないと十分に活用できないのではないだろうか。短期記憶の性質としては、一度に処理できる情報量が少ないこと、同時的に関連しあっているものは、視覚的なイメージにするほうがよいこと、連想が分岐せずにつながっているほうが理解しやすいことなどが考えられる。これらの特性を生かして本を読んだり、記憶したことを想起したりすると効率が良いのではないか。 要するに、現実の複雑な構造を項目数の少ないまとまりに分けて、論理的な関連をはっきりさせた図式にする。それを、シークエンシャルな連想の糸で結び付けていくようにすることで、理解したという感覚を伴った学習ができるのではないかと思う。
by tnomura9
| 2007-04-06 11:59
| 考えるということ
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