新しいことを勉強するときに悩まされるのが用語の氾濫だ。特に、管理人のように短期記憶が怪しくなってくると、なかなか新しい用語が頭の中に定着しない。
しかし、ちょっと考えると分かるように、用語とその指し示す概念との間には、論理的なつながりはないのだ。用語とその内容の関係は、たとえば、管理人の名前が、山田太郎でも、木下次郎でも、管理人の本質に影響がないのと同じで、恣意的なものなのだ。 したがって、時には思い切って用語の名前を完全に無視して、その用語を用いて指し示そうとしている事柄の構造だけを注目することはよい方法だ。電子機器の素子の名前が真空管であろうが、トランジスタであろうが、信号を増幅するという働きは同じだ。個々の素子や端子の名前は置いておいて、その回路の性質のみを考えてみると意外に頭に残るような気がする。 たとえば、 「アデニル酸シクラーゼ(adenylate cyclase)は、ATPから2次メッセンジャーのcAMPを生成し,cAMPはAキナーゼ(プロテインキナーゼA、cAMP依存性タンパク質リン酸化酵素)を活性化する。活性化AキナーゼはATPを消費し,機能性蛋白質をリン酸化させ,その生理作用を発現させる.cAMPはホスホジエステラーゼで分解される。」(http://makoto-o.kir.jp/myeloma/basic/cell.htm 「細胞」の基礎知識より) などという文章も、 「何かが何かを別の何かに変えると、その別の何かがある何かを活性化して、活性化したある何かがべつのある何かに働いていろいろなことが起きる。ある何かを活性化していた何かは、また別の何かによって分解され、このプロセスが終了する。」と読み替えてみると固有名詞がない分プロセスの本質が分かりやすくなる。(かもしれない。) 意識的にその用語の名前を無視して、その用語と他の用語の間の論理的な関係だけに注目すると不思議に全体像が浮かび上がってくる。 年寄りが、記憶力が低下しているのにもかかわらず、判断力には鋭さを示すのは、名前を覚えられないがゆえに物事の本質をかえって見抜くことができるためなのかもしれない。
by tnomura9
| 2007-01-27 07:22
| 考えるということ
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