どうしても惨めな気分になって仕方のないときはどうしたらいいだろうか。惨めになるのは自分が欲しいと思っているものを手に入れられないからだ。それなら、欲しいと思わなければ良いのだ。
欲しがりません、勝つまでは。 何に勝つのだろうか。さして大切でもないものを欲しがる自分の幼児性に対して勝つのである。 惨めな気持ちがどんなに辛くて苦しくても、所詮は脳の中の化学反応に過ぎない。行動に移さなければ実体はない。しかし、その気持ちに動かされて行動するとき、さらに惨めな状況を引き起こすかもしれない。行動をしっかりと抑制して、自分の惨めな気持ちに正面から対峙することが大切だ。惨めさから逃げようとせず、克服しようともせず、理由付けもせず、また、慰めもせず。ひたすら自分の惨めな気持ちと向き合うのである。泣き叫びたい気持ちが、結局は気持ちに過ぎないことに気がつくまで。
by tnomura9
| 2005-05-06 20:49
| 幸福論
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