今日は管理人は一日中誰一人とも会っていない。人と対面する商売なので、こういう日は日ごろの疲れがとれてほっとする。
昨日、だらだらと日本酒を飲みながら文庫本を読んでいたら、朝の4時になっていたので、それから寝て起きたのが12時近かった。 何を読んでいたかというと、田辺聖子の『人生は、だまし だまし』という著者の警句集だ。実は、『芋たこなんきん』を見て以来、田辺聖子氏の夫である「かもかのおっちゃん」が気になってしかたがなかったので、書店で文庫本を買ってきていたのだ。本のほうにもどるが、著者と、フィフティちゃん(五十女)と、イチブン氏(男の一分)とちょっと言葉が不自由になったかもかのおっちゃんの酒を飲みながらの会話のなかで警句が生まれていく。たとえば、 女は愛されていると確信したときに別れられる種族である。 などには、そういうものなのかとひどく感心させられた。 だが、管理人がひっかかったのは、話の端々に出てくる著者の古典の素養だ。源氏物語の中で、紫式部が理想の女性像である紫の上にどうして子供を生ませなかったのかの説明などは、そういうことだったのかという目から鱗の思いがした。 それで、2時過ぎにごそごそとおきだしてモスバーガーで昼飯を済ませた管理人は、書店で著者の『百人一首』を買い、喫茶店でカプチーノを啜りながら読み始めた。そして、納得した。 博覧強記、古典を読み込むというのはこういうことなのだ。時を超えて愛読される古典は、これに魅了された数え切れない人たちの研究が残されている。それらでイメージを膨らませながら原典を読んでいくと、人間というものの喜びや悲しみ、執念といった一言では言い表しがたい変わらない真実がひしひしと伝わってくるのだ。 単細胞の管理人にとっては、恋などというものは所詮、胸の谷間なので、運命に翻弄されながらその中で必死に恋していかなければならなかった王朝の人々の人生に圧倒されてしまった。 博覧強記というと時代遅れのイメージがあるが、このスパイスがないと、味気ない人生になってしまうかもしれない。 しかし、管理人の器ではせいぜい錯乱狂気になるのが関の山だろうから、やめとこ。
by tnomura9
| 2006-10-22 18:41
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