現場主義か、管理主義か

『セムラーイズム』の本を読んで以来、軽い興奮状態が続いている。それは、長年興味があった組織の最適化という問題に、セムラーイズムが光を投げかけてくれるような気がするからだ。

組織はどうして有効なのか、また、有効なはずの組織の行動にどうして不都合が生じてくるのか。本当に問題解決力のある組織を作るのにはどうすればよいのか、つまりは、組織の本質とは何なのかという疑問に、セムラーイズムとフォーディズム(フォード社方式の生産形態)を対比することで答えることができるような気がするのだ。

セムラーイズムとフォーディズムの情報の流れを見てみると、前者は情報がボトムアップで上昇していくが、後者はトップダウンで下降するという違いがある。しかし、全く反対方向の情報の流れを持ちながら、両者とも有効な組織なのだ。

最近のフォード社やGM社の凋落をみると、フォーディズムの官僚的な組織の硬直化がいかにも悪者のように思われ、日本は現場を大切にしたから頭角を現してきたのだという意見に傾きやすい。しかし、昨今のなりふりかまわないリストラぶりをみるとその目指しているところは全くアメリカ型の官僚主義だ。どうして、そんなことになってしまったのだろうか。間違ってはいけないのは、フォーディズムは有効であったからこそ世界を席巻したのだということだ。

フォードの工場というと、ベルトコンベア式の大量生産を思い浮かべるだろう。そこで働く人は、モダンタイムスに見られるように定型的な作業を強制され、非人間的な工具に貶められていると考えるかもしれない。しかし、フォード式の生産の大きな利点は、流れ作業による大量生産ではなくて、労働者の技術の平準化なのである。

自動車という複雑な製品を一人の職人で組み立てるためには、大変な技術と知識を要求される。したがって、そういう職人を育てるためには多大な時間が必要となる。また、職人の腕によって、出来上がった製品の品質はばらつきが大きくなるだろう。そこで、フォードは工員の関与する工程を制限することで、工員の育成時間を短縮し、技術のばらつきを小さくしたのだ。

デトロイトの巨大な工場は、自動車という製品の複雑さを、二次元に展開したものだったのだ。フォードは高度な技術を持った職人によって作られていた自動車の製造を、それほど技術力を持ち合わせていない工員の単純な作業に分割し、それを巨大な工場によって組織化することによって高品質にすばやく施行することができるようにしたのだ。

フォード型の生産方式では、基本的に現場からのフィードバックは必要ではない。現場の工員は限られた能力しか持っていないし、製品の品質を決めるのはむしろそのような労働を組織化する側つまり設計者にあるからだ。したがって、このシステムでは現場からのフィードバックは設計者に届きにくい。新製品を製造する際に、思わぬ製品トラブルや品質の劣化が起こりやすい可能性は否定できないのだ。

しかし、それにも関わらずフォード型の生産方式は強力だ。非熟練者の安い労働力を利用して、高品質の製品を速く作ることができるからだ。

一方、セムラー型の生産現場では、ひとつのグループにひとつの製品が割り当てられる。ただし、その中には多様な能力を持った要員がいる。工場現場要員、エンジニア、事務員、営業部員、それに管理職者だ、これらには正式な上下関係はなく、リーダーシップを誰が取るかはグループ内で自然に決まる。現場要員がリーダーシップをとった例もある。情報は全員で共有され、問題解決もグループで行う。製品の製造も流れ作業ではなく、製品が完成するまでひとつのフロアで行うセル型になることが多い。工場現場要員も単純作業をひとつだけ受け持つのではなく、交代にさまざまな工程を受け持つのだ。したがって、例えば、設計の問題で加工にトラブルが起きた場合それは設計者にすぐにフィードバックされ迅速に解決される。

セムラー型の生産現場では、製造の上流下流の間でのフィードバックが非常にはやく、製品のトラブル処理や改良が迅速に行えるという特徴がある。しかし、その利点を発揮するには、個々のメンバーの能力が高く、またお互いに十分にコミュニケーションが取れていなければならない。また、全員がある程度製品の概要を把握しておく必要もある。グループのメンバーにかなり高い能力を要求するシステムなのだ。逆に言えば、グループの要員は自分の能力の一部だけを使って仕事をするのではなく、自分の中にある広汎な能力をフル活用しているともいえる。

セムラー型の生産方式の経済性は、フィードバックの速さを武器に、高品質や改良をすばやく行うということで、製品価値を高めながら生産の速度を上げるという二重の要求に答えることで発揮される。しかし、要員を簡単に促成することはできない。要員の養成にはコストがかかるのである。

したがって、セムラー型の組織は、定型的な製品を作るのには少々オーバースペックになってしまう。むしろ、3ヶ月に一度新製品を出さないといけないような変化の早い製品の現場に向いたシステムではないだろうか。冒頭に上げたGMの例は、フォード型の大量生産が現代の製品の変化の速さについていけなくなったことを示しているのかもしれない。

以上のことから、フォード型の生産では、製品の複雑さに製造方法の組織化で対応したが、セムラー型の生産では製品の複雑さと変化の速さに、製造に携わる要員の能力の複雑さで対応したといえる。いずれにしても、製品の生産の為に組織(システム)が必要とされるのは、製品そのものの複雑さ故なのである。また、フォード型も、セムラー型も方式は全く異なっていても、目的とするところは、高品質の製品をいかに経済的に製造するかということなのである。

最近、医療事故や、医療行政による患者の追い出しや医師不足などの問題などが新聞をにぎわしているが、これは、対象とする医療や介護の問題の構造が複雑なため、現在の医療のシステムでは十分に対応できないからではないだろうか。経済的な面からのみ一律に在院日数を制限したため、長期のリハビリの人が切り捨てられたり、医療の機能そのものに齟齬をきたしてきているような気がする。いたずらに個人の能力や制度を維持する費用を問題にする前に、医療というもののもつ内部構造の複雑さを分析し、その品質と経済性を両立させるための組織(システム)の最適化を考えるべきではないのだろうか。
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by tnomura9 | 2006-10-02 19:28 | 話のネタ | Comments(0)
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