ブログ二日目

これが、2回目の投稿だ。一日目の記事を読み返してみたら、ガチガチに緊張していたのがわかる。誰かが読むかもしれない文章を書くのは刺激になる。

本当に、ブログに文章を書いたら誰が読むかわからないのである。どこかの県立病院のお医者さんが、毎日の診察での愚痴などを書いていたら、患者さん本人がその記事を見て病院に抗議したため、病院を辞職したそうだ。そのブログは非公開でおまけに匿名で書いたにもかかわらず、患者さん本人には誰のことを書いているか分かったらしい。気の毒な話だが、ブログに文章を発表する怖さを物語っている。

ブログのうわさが高いので登録してみたが、確かに簡単だ。自分のホームページを見ながら、投稿や編集が簡単にでき、書いた日付まで記録される。スキンはセンスがよくて、自分で作るよりはずっと格好がいい。ブロガーが増えるはずだと思った。

単なる日記ならここまで熱心に記入したりしないのではないか。自分以外の人が読んでくれるかもしれないという気持ちが、書く事の面白さを倍増させる。無名の人の書いた文章でも、誰かに読んでもらえるという所がブログの魅力だろう。

読むほうもそのつもりで読んでいる、作家や芸能人の自分の生活とはかけ離れた体験を読むのも面白いが、自分に身近な事柄で他の人がどんな気持ちや苦労で生活しているかを覗くのもまた一興なのである。服装まで気にしないといけないフランス料理屋で食べるのもいいが、自宅でテレビとビールで焼き魚をつつくのもいいのである。

きょうテレビを見ていたら、アメリカのメトロポリタン美術館の収蔵品で、エジプトの高官の墓から出土した副葬品が写っていた。それは、金銀の財宝ではなく、当時の生活を模した木製のミニチュアなのである。保存状態が良かったためか色も鮮やかで、当時の人々の生活を生き生きと写している。

穀物倉では男が篭に入れた小麦を蔵へ空けている。その蔵の底には当時の本物の麦粒が残っていた。蔵の外では書記がなにやら記録をとっているし。そのとなりの部屋では小麦からパンがこねられて焼かれている。また、サボったりしないように奥では監督が目を光らせているのである。さらに、別の部屋では牛が殺され、捌いた肉が場所ごとに切り分けられて天井から吊るされている。ナイル川では十数人のこぎ手のいる大きな船の編隊が航行しており、その中ほどの船の最後尾には墓の主人が蓮の花のにおいをかぎながら、自分のほうを向いて、両手を胸に当てて歌う、歌手の歌に聞き入っている。

4000年前もやはり、墓の主人のほうではない庶民は、このように生活していたのである。何の変哲もない日常生活で、何の変哲もなく暮らしている人々の気持ちがこのミニチュアに残されている。ブログに書かれていることも何千年も後の人に発見され、今の生活を推測する貴重な資料になる日がくるのだろうか。
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by tnomura9 | 2005-05-01 17:05 | 話のネタ | Comments(1)
Commented by 名無し at 2005-05-04 03:10 x
何千年後、
コンピュータは起動できているのだろうか?
ただでさえ小さな静電気でぶっ壊れる代物やし、ネットのHPは変化している。
前はアクセスできたサイトがあったが、時がたつにつれて
『ページが見つかりません。』『404 NOT FOUND』
があったりする。
それを保存したりしているのは
[アーカイブ〕だったりする。が、僕はそのサイトをあまり見たことがない。
多分、”アーカイブ”と検索していないのかもしれないが、
歴史の中に残るものはごく一部の情報だけなのかもしれないなぁ。
地球の変化によっては、
今、僕達が生きている時代は
未来人から見て、”空白の時代”、別の用語を借りると”ミッシングリング”
だったりするのかな?
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