19世紀と違って最近は博物学という言葉を耳にしない。むしろ、ブログやウェブの影響で爆発的に増加する情報をどう処理するかという問題のほうに力点が置かれているような気がする。
その根本となる考え方は、あふれる情報の大海のなかから、目的の情報をどう選び出すかということだ。大量の情報の中から本質的な意味を取り出すという情報の量を減少させるための努力だ。これを仮にリダクションの方向性と呼ぼう。 今まで、管理人のやり方はいつも、このリダクションの方向性だった。大部の書類にさっと目を通し、その骨格や本質をつかもうとする。本質が分かっていれば後で細部は見返すことができる。 ところが、先日話を聞いた天才的な整形外科医の話は、違っていた。彼の頭の中には、神経や血管の様々な変異が全て頭に入っていたそうだ。そのため、血管の縫合なども非常に短時間で、出血も少なく。他の人が不可能だと考える植皮などもやすやすと成功させているらしい。 神経や血管の解剖の本はありふれているが、細部までこだわって読むことはない。血管の走行の変異についても、重要な大きな血管については覚えるが、末梢の小さな血管まではあまり気にしないのではないだろうか。普通は一通り理解したら、小さい血管の個人差については術中に十分対応できる。本質が分かっていれば細部はあとで詰めればよいというリダクションの考え方だ。 しかし、この外科医の例でも分かるように、プロフェッショナルな仕事を行うには、ときに、このリダクションの方向性をやめて、意識して細部にこだわらないといけないのかもしれない。 古代の名医と言われる人たちも博学と同時に細部にこだわる目を持っていたのかもしれない。医学の知識のようなものも、誰でも、普通に手に入れることのできる情報だが、リダクションの方向性で読んでいては、薄っぺらな知識になってしまいそうな気がする。名医になるためには、情報量に圧倒されず細部にまでこだわって読もうとする目が必要なのである。
by tnomura9
| 2006-07-28 07:41
| 考えるということ
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