学習とは何かというと、結局、非常に大量の用語とその意味を覚えることだ。まず、覚えなければならない用語の数多さに恐れを感じ、次に、その用語の意味、つまり、論理構造を理解する労力に挫け、なによりも、それだけの仕事を遂行するためにかかる時間の多さに圧倒される。
それを克服するためには、情報の圧縮を考えなければならない。十数個の用語を関連付けて、ひとつの用語に集約させてしまうのだ。この用語のクラスタリングは、トップダウンで行う場合もあるし、ボトムアップで行う場合もある。用語のクラスタを作る方法は、システム的にやるより、きままに思いついたところからやったほうが、興味を持続させることができる。 人間が一度に理解できる知識の範囲と量はたかが知れている。その許容量内に知識獲得の作業の範囲を絞るのがコツのようだ。 情報の圧縮と展開を自在にやれるようになると、新しい知識に挑戦するときの鬱陶しさが少しは軽減するかもしれない。
by tnomura9
| 2006-04-26 22:06
| 考えるということ
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