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事実と意見

分かりづらい本を読むときは、事実と意見を意識的に分けて読むと良い。

本を読みながら、「これは事実」、「これは意見」と頭の中でつぶやきながら読むのだ。

内容をよく整理して論理的に組み立てた文章は、あまり苦労せずに読み進めることができる。しかし、何が書いてあるのか分からないときは、内容が前後したり、事実と意見がごちゃ混ぜだったり、意見の内容が論理的に問題があったりすることが多いのだ。このような場合でも、少なくとも事実の記載については、あまり論理的な検討が必要ないことが多いし、事実だけを抑えていけば、意見の飛躍や論理の間違いに気がつきやすい。

まず事実、そうしてその事実からどういう意見がでてくるのかを見るようにすると良く分かる。逆に言うと、分かりづらい文章では論理構造が複雑なために分かりづらいと感じるのだ。文章の論理的な組み立ての分析に慣れることが重要なのだ。

それではどうしたら文章の論理的な分析ができるのだろうか。論理的というとすぐに、「人間は死ぬ、ソクラテスは人間だ、ゆえにソクラテスは死ぬ」という三段論法を思い浮かべるかもしれない。しかし、論理の本質は、「すべての可能性を検討しつくす」ということなのだ。したがって、上の三段論法の結論の意味は、人間が死なない可能性がゼロなので、ソクラテスが死なない可能性はどんなに考えてもゼロであるということを主張しているのだ。

意見を説明するのに、例示がよく使われるが、それはあくまでそういう例があるということを示しているだけに過ぎない。しかし、大切なのはどんな可能性を考えてもその主張が成り立つかどうかということだ。ひとつでも反証があれば、成立しない主張もあるのだ。議論の運びかたについていけないと感じるときは、その主張がすべての場合を考慮しているのかどうかを考えると良い。反証がひとつでもあるような議論には不備があると考えてよいからだ。

事実と意見を分けること。意見がすべての可能性を考慮したものかどうかを検討すること。この二つの点に気をつけて読むと、文章のどこが分かりづらかったのかが見えてくる。
by tnomura9 | 2006-03-07 07:43 | 考えるということ | Comments(0)
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