管理人の長男はフォトリーディングの信奉者だ。教科書はパラパラとめくってそれでおしまい。そんなんで頭に入るのかと聞くと、何回もやるから大丈夫だという。管理人も真似して何回かやってみたが一向頭に入っている様子がない。
ただ、真似をしていて思い出したのがウィンドウズに付属しているゲームのフリーセルのことだ。管理人はフリーセルが好きで、暇なときはなんとなくやっている。最初はなかなかクリアすることができなかったが、最近はほとんど一回でクリアできる。しかし、フリーセルを上手になろうと一生懸命考えたという記憶はない。退屈紛れにいじっているうちにいつの間にかうまくなっていたのだ。 したがって、管理人がフォトリーディングで本が読めないとしても、長男は読めるのかもしれない。なにしろ、長男のフォトリーディング暦は年季が入っている。それに、本をフォトリーディングで読めば、気が楽だ。理解して読まなくていけないなどと余計なプレッシャーがかからないからリラックスできる。その分本を手に取るのが楽しくなるという効果がある。案外こういう効果のほうが大切なのかもしれない。フォトリーディングでスキミングを繰り返しているうちに全体像が見えてくるだろう。全体像をつかんでから読むと理解も速いし、理解していることを読むのは楽だ。 何も考えずに何回もやるというのは、無駄のようでいて、疲労を溜め込まないという大きな利点があるのだ。
by tnomura9
| 2006-02-24 08:07
| 考えるということ
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