自然数の冪集合と連続性

自然数を1から初めて順に右に並べてみると次のようになるだろう。

1,2,3,4,5, ...

この自然数の列の下に適当に 0 と 1 を並べると次のようになる。

1,2,3,4,5, ...,
0,0,1,0,1, ....

上の数列のうち下の列は自然数の冪集合の一つの要素と全単射の関係にある。すなわち、この数列で表される自然数の部分集合は、0がついている列の自然数を含まず、1 がついている列の自然数を含んでいると考えることができる。つまり、この方法で自然数の部分集合をタグづけできることになる。

たとえば集合 {2, 3} については、

0,1,1,0,0,0, ....

という無限数列で表すことができる。また、この数列のタグを左右をひっくり返して2進数 110 (=6) に自然に対応させることもできるのが分かる。

ところが、少し考えると、この無限数列を個として取り出すことは不可能である事がわかる。たとえば、

0.1,1,0,0,0, ...

と4列目からの数が全て 0 の数列は一つの無限数列として特定できて、それを 110 (=6) と対応づけることは自明のように思えるが、この数列と100万桁目が1になる数列と区別するのは数列の100万桁目を見ないと分からない。さらに言うと無限遠で数列の値が 1 にならないという保証はないのだ。つまり、{2, 3} という明らかな有限部分集合も、その他の集合との区別が不可能であることがわかる。無限遠まで 0 が続くというのはあくまでも観察者の仮定が混じっているからいえるのだ。

すなわち、1, 2, 3 のような自然数の要素は個体として認識できるが、自然数の部分集合についてはある仮定を導入しないとそれを個として認めることができない。つまり、自然数の冪集合とは連続体なのである。有限集合はそれを表すある桁数からは全て0であるという仮定においてのみ個として認める事ができるが、その場合においても無限遠で1が出現する集合との差を見つけることはできない。

このように自然数の要素は個として認めることができるが、自然数の冪集合の要素は個として認めることが本質的に不可能であるという定性的な性質が、自然数の集合とその冪集合との全単射ができない本当の理由なのだ。

自然数の部分集合のうち有限集合の全てについては、それに対応する自然数を割り当てる事ができる。それは、有限集合については、上で述べたような仮定によって個として認めることができるからだ。しかし、このような自然数と自然数の有限部分集合との対応関係の表は対称行列にはならない。この対応表の一部の対称な部分についてはどの部分をとってもカントールの定理のような対角線部分を反転させた数列は含まれない。この対応表を無限の対照表について拡大してもこの関係は変わらない。

カントールの定理は、このように有限部分集合と自然数の対応表についての議論から自然数と自然数の冪集合の全単射ができないことを証明するが、自然数の集合と自然集合の冪集合との本当の違いに光をあててはくれない。自然数の全単射が不可能なことは冪集合の性質のごく一部分に光を当てることで証明できるが、自然数の集合の要素には個体が存在し、自然数の冪集合の要素には個体と言えるものが無いという本質的な違いを照らし出してはくれない。

以上の説明で有理数の稠密性にもかかわらず、自然数とその冪集合の全単射ができないことをイメージすることができるのではないかと思う。自然数と実数の違いは、自然数の個体性と実数の連続性という定性的な違いだったのだ。

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by tnomura9 | 2017-06-21 00:30 | ラッセルのパラドックス | Comments(0)
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