長江文明

宮崎と鹿児島の南九州の古代の文化は、北九州の文化と非常に異なっている。例えば、地下式横穴墓などはほとんどが南九州でしか見られないものだ。また、花弁状竪穴住居もそうである。これほど際立った文化の違いは重要だ。

北九州の文化は、魏志倭人伝にも見られるように漢人の文化の影響を強く受けていると考えられる。しかし、宮崎や鹿児島の文化は漢人のものとは違う。どうもこれは揚子江流域で発展した長江文明の文化ではないかと思われる。

長江文明とは長江流域で起こった中国の複数の古代文明の総称である。その始まりは紀元前14000年とも言われている。稲作と漁労を主な生業としていたため稲作漁撈文化とも言われる。紀元前2500年ころの地球の気候の寒冷化とともに南下してきた黄河流域の漢人との抗争に敗れ、雲南省の苗族や、カンボジア、日本などへの民族移動が起きたと言われている。

長江文明の特徴は、母系社会であること、稲作や高度な航海技術を持っていたこと。文字を持たなかったこと。太陽と鳥を崇める宗教を持っていたこと。鏡と剣による祭祀があったこと。高度の玉の加工技術があったこと。呪術が盛んだったこと。顔に入れ墨を入れていたことなど、魏志倭人伝の邪馬台国の描写に共通するものがある。

大陸から長江文明の集団が東シナ海を渡って直接鹿児島や宮崎に渡来してきたことは大いに有り得ることだ。やっぱり邪馬台国は宮崎平野にあったのだ。


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by tnomura9 | 2017-05-12 22:51 | 考えるということ | Comments(0)
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