邪馬台国宮崎説の弱点は遺跡からの鉄器の出土が少ないことだ。大型の古墳はたくさんあるのに、なぜか鉄器の出土は非常に少ない。
少ない中でも1986年に発掘された新富町の川床遺跡からは、円形、方形周溝墓44基、土壙墓149基で構成される集団墓で、鉄刀、鉄鏃などの鉄製品が91点副葬されていた。弥生時代後期の遺跡らしい。個々の墓の副葬品は少なく各墓で1,2個、殆どの土壙墓では鉄鏃1個が副葬されていた。また、周溝墓では鉄刀などが副葬されているが、宗教的な豪華な副葬品はない。その様式は北九州のものらしい。 発掘のレポートを読んでみたが、延々と土壙墓の計測データが書き並べられていた。素人的に言えば副葬品が鏃1個の代わり映えしない墓を延々と発掘するのは地味な仕事だなと思った。 弥生時代前期の宮崎の墳墓の発掘は少なく、発掘されたものは優れて北部九州、東九州の系統の文化らしい。 土壙墓の被葬者は兵卒なのだろうが、その墓にも鉄の鏃を副葬するほど鉄製品は行き渡っていたのかもしれない。弥生時代末期でも北部九州から遠くはなれた宮崎にも鉄器が浸透していたことを示している。 実際の考古学的な発掘調査はほんとうに地味な作業だ。その成果と邪馬台国が直接的に結びつくことはないだろう。文献から色々と思い巡らすのは楽しいが、地道な発掘調査の集積がなければただの架空の物語になってしまう。邪馬台国をめぐる論争は当分終わることはないだろう。
by tnomura9
| 2017-05-06 23:39
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