論理とは何かを学習するのには命題論理学を学ぶのがいいと思う。なんといっても「ラッセルのパラドックス」がない。論理を学ぶのに矛盾が潜んでいるかもしれないと言われたら、初学者は途方にくれるだろう。論理の活用法を学びたいだけなのに、いきなり論理の構造の深淵に投げ込まれるようなものだからだ。幸いなことに、命題論理学には矛盾がない、全くない。それは命題論理学が取り扱う複合命題が、全て有限の原子命題で構成されているからだ。
複合命題を構成する原子命題が有限であれば、どのように多くの原子命題で構成されていても、その命題がトートロジーであるかどうかは真理表を作成することで機械的に求めることができる。証明もその否定も証明できない命題などは発生しない。 述語論理学になると、そのあたりの事情が怪しくなってくる。例えば ∀xP(x) つまり全ての x について P(x) などのような命題は、P(x) による内包的定義で定義される集合が無限集合であれば、その中に無限を含んでいるので、真理表を作成できない。P(x) で内包的定義される集合を P とすると、ある要素 x1 が P(x) を満たすと言う命題は命題論理学に翻訳すると P1 で表すことができる。したがって ∀xP(x) は命題論理学では P1 ∧ P2 ∧ P3 ∧ ..... と無限の原子命題で構成される複合命題になってしまい、真理表すら完成させることができなくなる。述語論理学には、このような有限の複合命題で成立している性質は、無限の原子命題を含む複合命題でも成立するだろうというような論理の飛躍が見られる。 このように、述語論理学は有限な命題論理の中に無限の原子命題からなる複合命題を導入して、命題論理学を拡張したものだ。無限の原子命題から構成される複合命題という怪しげなものを内包しているが、定理が全てトートロジーであるという完全性定理は証明できる。つまり矛盾は含んでいない。しかし、これを自然数という再帰的定義で定義される無限集合を扱えるように拡張すると、その論理体系では証明もその否定の証明もできない命題というのが発生してしまう。全ての命題を真であるか偽であるに分類しきってしまうことができないし、自分自身が無矛盾であるかどうかも証明できなくなってしまう。 しかし、現実的世界では応用されているのは全て命題論理学の範囲内である。微分積分学のような本質的に無限を取り込んでいるような分野でも、コンピュータでシミュレーションするときは、有限のデータしか扱わない。述語論理学で記述された命題を、命題論理学に翻訳して計算している。誤差は必要なだけ小さくできるので、実用上は問題ない。 無限の要素を数え尽くすことはできないので、有限の世界の論理を無限に拡張するときには、論理の飛躍が必要だ。しかし、その論理の飛躍が正当な物かどうかには注意が必要だ。 たとえば、自分自身を要素として含まない集合の集合というのはそのいい例だ。有限集合に限って言えば自分自身を要素として含まない集合の集合は考えることができる。しかし、その集合は、自分自身を要素として含まない。なぜなら、自分自身を要素として含んでしまうと自分自身を要素として含まない集合の集合ではなくなるからだ。しかし、まさにそのために、その集合は自分自信を要素として含まないという述語を満たしてしまう。このような構造の集合を内包的定義で定義することはできない。しかし、有限集合で見られる内包的定義の正当性を無批判に無限集合にまで拡張すると、パラドックスが発生してしまう。 このように、無限を含む論理には注意が必要だが、実用的には、命題論理学を学ぶだけで、十分論理の運用に敏感になることができる。含意はそのいい例だ。「テレビのコマーシャルのスポンサーが製薬会社ならば薬は飲まない方がいい。テレビのコマーシャルのスポンサーの多くは製薬会社である。故に薬は飲まない方がいい」という議論をよく見かける。しかし、この推論のテレビのコマーシャルのスポンサーが製薬会社ならば薬は飲まない方がいいという含意の正当性は全く吟味されていない。A ならば B であるという含意が真になるのは、A が偽であるか、または、B が真である場合である。つまり、テレビのコマーシャルのスポンサーの多くが製薬会社であるという命題が真であったとしても、薬を飲まない方がいいという命題の正当性は上の含意だけでは保証できない。上の含意はテレビのコマーシャルのスポンサーが製薬会社であれば、薬は飲んだ方がいいということは決してないかどうかによって、真偽を判定されなければならない。含意が偽であれば、三段論法の推論は不適切だ。 結局のところ、ラッセルのパラドックスが気持ち悪くても、論理学とくに命題論理学を学ぶべき理由は十分にある。
by tnomura9
| 2016-07-25 07:52
| 考えるということ
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