ラッセルのパラドックスについての記事もおそらくこれが最後になるだろう。やっと、ラッセルのパラドックスがどういうものであるか、素朴集合論のモデルがどういうものであるかを簡潔に示すことができるような気がするからだ。
ラッセルのパラドックスは、すべての集合の集合 A についての考察から生まれてくる。このすべての集合の集合 A とは何かというと、それは単なる集合の集まりだ。ただし、A の要素である集合の間には所属関係という2項関係が存在する。すなわち、A の任意の要素 ai と aj を取り出した時に、ai ∈ aj または ai /∈ aj のどちらかが成立する。 この二項関係は A の全ての要素について定義されていなければならないので、自己言及すなわち ai ∈ ai または ai /∈ ai のどちらかが成り立つ。 このような A の要素の二項関係は次のような演算表で定義することができる。 ** a0 a1 a2 a3 ... an a0 1 0 0 0 ... 0 a1 0 1 0 0 ... 0 a2 1 1 0 0 ... 0 a3 0 0 1 0 ... 0 .............................. an 0 0 0 0 ... 1 演算表では、行の ai が列の aj を含む時に1含まない時に0の値をとる。この時、行の値の列は ai に含まれる要素からなる集合を定める。例えば a2 の行の数列は 1 1 0 0 ... 0 だから ... の部分が全て0 の時は a2 = {a0, a1} である。 ここで演算表の対角線部分に注目するそれはその集合が自分自身を含めば1含まなければ0になっている。ここで、この対角線部分を取り出しそれを反転させた数列、上の例で言えば 0 0 1 1 ... 0 を作る。これは A の部分集合の一つを定める。しかしながら、この数列は対角線部分で演算表のどの行の数列とも異なるので、このような数列を表す A の要素を見つけることはできない。さらに、この数列は A の要素のうち自分自身を要素として含まない集合の集合を表す。 結局のところ、集合の集合 A を考えてその要素間に所属関係という二項関係を定義する場合、自分自身を要素として含まない集合の集合は A の部分集合としては存在するにもかかわらず、その集合を表す要素は A の中には存在しないことがわかる。 このことは、所属関係の定義された要素の集合では、A の要素の全ての部分集合を A の要素では表せないことを示している。つまり、全ての集合の集合を集めた集合を作ることが不可能なことを示している。 素朴集合論の所属関係を用いた集合の定義のモデルは、このような集合 A になるので A の要素では全ての集合を表すことができないのだ。それだけではなく、A の要素で表現できる集合は非常に限られたものになる。なぜなら、A の要素数が n の時、A の部分集合は 2^n 個あるので、A の要素で表現可能な集合と、表現不可能な集合の差は 2^n - n となり、それは n が大きくなればなるほど差が開いてくるからだ。 全ての集合の集合を、所属関係という2項関係の定義された要素(集合)の集合と考えるのは自然な発想だが、そういう集合を作るのは不可能である。また、有限集合に2項関係を導入した有向グラフで集合を表現した場合、その集合では表現力が非常に限られることがわかる。ラッセルのパラドックスは、暗黙に全ての集合の集合の存在を仮定したためにパラドックスになってしまったのだ。
by tnomura9
| 2016-06-12 10:55
| 考えるということ
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