読書の腕前

講演会が終わったが、タクシーが捕まらなかった。幸い予約していたという友人に相乗りさせてもらい駅に着いたが、なんとなくそのまま家に帰りたくなくなった。家路を急ぐ友人にちょっと遊んできますと別れを告げ、小雨の夕暮れの中傘をささずに歩き出した。資料を入れた鞄が少し重たかった。10分ほど歩いてツタヤに入った。最近の出版不況を反映してか、この街にもツタヤ以外の本屋がなくなってしまった。

入り口の自動ドアを通り抜けると、本の洪水が目に入った。めまいがした。これらの本のどれだけが読まれ、どれだけが廃棄されるのだろう。そういえば、随分前から読むためだけの本を読んでいない。朝起きて、戦場のような職場の仕事が終わった後は、とにかく横になることしか考えられない。金曜日には少し気分が高揚するが、土曜日も働いているので、時間が自由になるのは、午後も遅い方だ。日曜日も夕方になると気分が塞いでくる。そのためか、書店に入っても、書棚の本よりは本を物色している人の方が気になる。確実に変態だから、すぐに自分を戒めるようにはしているが。

所在なく書架の間を彷徨っていたら、文庫本の新刊のコーナーに目が止まった。帯にピース又吉の写真入りの推薦文があったので手に取った。又吉の本は読んでいないが、相当の読み手であることはテレビのインタビューを見ればわかる。

最初のページにはある外国の女流作家の小説が紹介されていた。大学で文学を学んだ高学歴の女性が、大学生の息子を残して離婚し、田舎の港町でレストランの給仕をしながら生計を立てている。唯一の楽しみは、レストランが閉まった後の波止場での読書だ。艀に自前のテーブルと椅子と電気スタンドを持ち込んで読書にふけるのである。その読書の時間がなんとも幸せそうだった。

パラパラとページをめくって、次に目に飛び込んできたのは、著者の小学校の時の思い出だった。小学校の時から、学校の図書館や、近所の雑誌の廃棄物の集積場でたくさんの本を読んでいた。子供ながらに読書の腕前には自信があった。しかし他の成績はあまり振るわなかったらしい。ある日、担任の H 先生がコピーの文章をどれだけ早く読めるかを生徒たちに求めた。著者は先生が止めの号令を発する前に全文を読み終わっていたのでそういう風に書き込んだが、何が気に入らなかったのかその先生はお前がそんなに早く読めるはずがない、読めるのはせいぜいこれだけだと生徒が見ている前で、文章の中度に線を引いて見せた。

とにかく読んでみようという気になり、購入して鞄に入れ、止んでいなかった小雨の中を駅に引き返した。駅の構内にスペイン料理の店があり、そこで、しばらく読んでみたくなったのだ。マグロのサラダと名前を忘れたが白魚と卵をオリプオイル入りの出汁で煮込んだものにパンを浸して食べる料理を頼んだ。白のスパークリングワインが先に来たのでそれを飲みながらさっき買った本を読み始めた。著者の読書に対する並々ならない愛情が伝わってくる。とにかくたくさんの本を読む大切さ、古書店を探索する楽しみや、書評や解説を読む楽しみなどに目が開かれる思いだった。白ワインがなくなった頃に料理が運ばれてきたので、赤ワインを頼んだ。料理は薄味で胃にもたれなかった。ワインをすすり、料理を食べ、本を読み続けた。

思いもかけず、至福の時間を過ごすことができた。感謝。

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by tnomura9 | 2016-05-29 12:34 | 話のネタ | Comments(0)
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