最近時間に関する哲学書を読んでいる。もちろん、さっぱり理解できないが、時間というものには、何か変なところがあるのは感じられる。普段なにげなく見過ごしていることでも、哲学者の手にかかると、本当に不可思議なものに見えてくる。極端な例では、「時間は実在しない」という人もあるくらいだ。
ヘラクレイトスの「万物は流転する」、や孔子様の「逝者如斯夫(ゆくものはかくのごとしか)」という言葉にもあるように、古代から時間を重要視している人は沢山いる。 時間のもっとも問題なところは、「存在する」と同時に「存在しない」ということが起こっていることだ。在ると同時に無いというのは論理的に矛盾している。厳密には「存在する」と「存在しない」が同時におきることは無いのだが、時間の連続性から「存在する」と「存在しない」を分けるのが不可能なのだ。 時間のせいで、あると思っていたものがなくなってしまう。持っていたものもそのうち失われてしまうのだ。かと言って、本当に存在するのは今という時間だけだからと、刹那主義に走っても苦労するだろう。 まあ、こういう小難しいことはきっぱりと考えるのをやめて、普通に生活していれば何も問題ないのだけれど、それでも、「せっかく今幸せな気分でいるときは、あまり見込みのよくない未来の心配などやめて、今の幸福感を味わっておこう」などと、やはり、心のどこかに引っ掛かりがある。
by tnomura9
| 2005-11-15 07:26
| 考えるということ
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