名医は平均的な医者が見逃した病気を突き止める。藪医者は普通の医者が診断できる疾患を見逃す。しかし、どちらの場合も生起確率の少ない選択肢を選んだということでは、共通するものがあるのである。
会社運営の成功例や、失敗例にも同じような性質がある。新聞などでそれらの事例が掲載されるときは、思いもかけなかった成功や、起こるはずのなかった失敗の話になる。普通にやっていればうまく運営していける事業や、どうやっても運営できない企業の話は出てこないのだ。 思いもかけない成功や失敗が生まれる原因は、人間が起こりえるすべての可能性を検討することができないからだ。起こりえるすべての可能性を検討するというのは、論理の本質なのである。 論理というと、AならばBだという含意や、それを用いた三段論法のことが頭に浮かぶかもしれない。しかし、AならばBだという含意の場合、どんな可能性を検討してもAであれば必ずBであるということを意味しているのである。数学など論理を用いて構築された体系の確実性は、暗に、すべての可能性を検討したという論理の性質があるからこそ保証されるのだ。 したがって、「風が吹けば桶屋が儲かる」などの場合、含意の形をとっていても前項が真であるときに、後項が必ず真であるという要件を満たしていないので、その推論は誤りとなる。 しかし、起こりえるすべての可能性を検討するというのは実際には不可能なことが多い。将棋の各局面での差し手の選択肢は有限だが、全体の差し手となると各局面の選択肢の積となり到底すべてを調べることは不可能なのだ。 こう考えると、誤診や失敗の可能性をゼロにするのは事実上不可能なのだ。それではどうすればよいかというと、やはり、フェイルセーフを用意するしかないだろう。失敗が起こったときにその被害を最小限に食い止めるにはどうすればよいかということである。システムの運営に冗長性を持たせることである。通信の場合信号に冗長性を持たせることで、チェックサムなどによる信号のエラーチェックをしたり、エラーの出た信号の回復をしたりしているが、それに似た冗長性によるエラー防止が必要になってくる。 病気の診断や、会社の運営や、ロケットの打ち上げなど、生起確率の低い事態でもそれが起こったときの結果が致命的になる場合がある。したがって、それらを決断する際に、できうる限りすべての可能性を検討し、また、不測の事態が起きたときのフェイルセーフを用意するためのシステム的な思考法が必要なのではないだろうか。
by tnomura9
| 2005-11-06 11:36
| 考えるということ
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