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トグルスイッチと排中律

トグルスイッチは操作のたびに反応が異なる。電球が点灯しているときにスイッチを押すと電球は消灯するし、電球が消灯しているときにスイッチを押すと電球は点灯する。

いま、いろいろなスイッチを集めてきて、スイッチを押せば電球が点灯するスイッチとスイッチを押せば電球が消灯するスイッチのグループに分けてみよう。このときトグルスイッチはどちらのグループに属するだろうか。

明らかに電球が消灯していればトグルスイッチはスイッチを押すと点灯するスイッチの仲間であり、電球が点灯していればスイッチを押すと消灯するスイッチの仲間である。電球が点灯しているか消灯しているかで動作は異なるが、これらのスイッチはトグルスイッチを含めて、スイッチを押せば電球が点灯するか、スイッチを押せば電球が消灯するかのどちらかである。すなわちスイッチの動作について排中律が成立している。

しかしながら、トグルスイッチではスイッチを押した後ではその動作が変わってしまう。それは、トグルスイッチがスイッチを押す前の状態の記憶を持っているからだ。トグルスイッチを押した時の動作は、スイッチを押すという動作とスイッチの内部の状態に依存する。さらに、スイッチを押す動作でスイッチの内部の状態が変更されてしまう。

述語論理学では述語 P(x) を対象 a に適用することによって真偽が判別できる命題を作ることができる。すなわち、P(x) を a に適用した P(a) は真かまたは偽の値のどちらかをとる。a が内部の状態を持たない対象の場合 P(a) は必ず同じ値になる。しかし、a が内部の状態を持っており P(x) を適用することによって a の内部状態が変わってしまえば上のトグルスイッチの場合のように P(a) の値は a の内部状態によって真になったり偽になったりする。

嘘つきのパラドックスについても同様のことが言える。嘘つきは「私は正直です」としか言えないし、正直者は「わたしは正直です」としか言えない。しかし正直者に「わたしは嘘つきです」と発言させた途端にその正直者は嘘つきになってしまう。「わたしは嘘つきです」という発言によって、その正直者の内部状態が変わり嘘つきになってしまうからだ。

この正直者が「私は嘘つきです」と発言する前は、村人は正直者と嘘つきに綺麗に分けることができる。「わたしは嘘つきです」と発言する以前はこのひとは正直者だからだ。つまり村人が正直者か嘘つきであるかの排中律が成立する。しかし、村人の発言を聞いた途端に、このひとは嘘つきとなり、嘘つきのグループに属してしまう。この場合でも村人が正直者か嘘つきであるかの排中律は成立する、このひとが嘘つきのグループに属してしまうだけだからだ。

村人に発言させない状態では、排中律に矛盾はない。村人に発言させた後も排中律によって分けられるグループに変化が起きるが、変化前と同様に排中律に矛盾はないのだ。

しかしながら、この発言によって状態が変化するひとについては、一体正直者か嘘つきなのかを決めようとするとパラドックスになってしまうのだ。このひとがつねに正直者か嘘つきかという問いに対しては矛盾が発生してしまうことになる。

こういう内部状態を伴うシステムは現実には普通に存在する。矛盾を排除した論理学だけでは現実の事象を説明しつくすことはできないことがわかる。

ラッセルのパラドックスにも同じような内部状態を考えることができる。

x /∈ x ⇔ x /∈ R

という定義から

R /∈ R ⇔ R ∈ R

というパラドックスが発生してしまう。これにはどういう意味があるのだろうか。

いま自分自身を要素として含まない集合を集めて R を作るとそれ自身が自分自身を要素として含まない集合になってしまう。この時点で R を含みすべての集合について自分自身を要素として含まない集合と自分自身を要素として含む集合に分けられるが、R は明らかに自分自身を要素としない集合だ。しかしながら、まさにそのゆえにRは自分自身の内包的定義を満たすので、これをRの要素としなければならない。

そこでRにRを含ませるとこんどは R は自分自身を要素とする集合となってしまい、さらに、要素としてのRが自分自身を要素とする集合になって R の内包的定義を満たさなくなってしまう。それでは困るので R の現在の要素と R を合わせた新しい集合 R' を考えるとこの問題が解決される。しかし、この時点で R' が新しい自分自身を要素として含まない集合になってしまう。つまり R が R に含まれるかというテストをするたびに R の状態が変わって新しい R' が発生してしまうという仕組みになってしまう。

R をラッセルの内包的定義でテストするたびに、R の内部状態が変わり R の要素の内容が変化してしまうのだ。

静的な排中律はこのステップのどの時点でも成立しているが、対象の内部の状態の変化のために、静的な排中律の内容は対象へ述語を適用するたびにダイナミックに変化していくことになる。
by tnomura9 | 2014-12-07 09:00 | 考えるということ | Comments(0)
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