将棋のコンピュータソフト

将棋の世界では、プロ棋士とコンピュータソフトの正式の対局が禁止されたそうだ。

序盤中盤はコンピュータはまだ弱いが、終盤の詰めは、羽生名人などもコンピュータを使って確認するという。終盤の詰めは、全ての可能性を機械的に計算するという部分が大きいのでコンピュータの能力が発揮しやすいのだろう。将棋は各局面で取り得る手は有限だ。ただ、全ての可能性を計算することは、各局面の取り得る手の積になる爆発的な手筋の可能性の増大のために事実上不可能である。

したがって人間同士の対局の場合は、一種のパターン認識の能力を競い合うことになる。ところが、そのパターン認識の能力すら、コンピュータソフトが獲得しはじめたようなのだ。裏をかえせば、人間の独創的な創造性というのも、本質的には機械的なアルゴリズムで置き換えることができるということだ。

このことは、単純な定型的な計算以外の知的労働にコンピュータが利用される可能性が出てきているのを意味している。人間にしかできないと思われていた知的作業をコンピュータが肩代わりする可能性も出てきたのだ。

たとえば、今、医療の費用と質について色々と取りざたされている。しかし、費用と質とは相反する要因なのだ。両方を向上させるのは難しい。単純に考えても医療は労働集約型の業態なので、人件費の割合が異常に大きいからだ。費用を削減するためには人件費の圧縮が必須であるが、給与を下げても、人員を削減しても医療の質の低下は必須なのである。

その人件費についても、日本の健康保険を視察にきたヒラリー・クリントン氏が「日本の医師はまるで修道士のように安い給与で献身的に働いている」という感想を述べて帰ったくらいだから、推して知るべしだ。数年前から病院は構造不況業種なのだ。

したがって、医療のシステムをコンピュータ化する方向は必須だと思われる。日常の診療で遭遇する疾患の診断や治療法の決定などについては、かなりの部分がコンピュータに代替できる時代が近づいているような気がする。これを、医療従事者にとっての脅威と考えるのではなく、安価で良質な医療を提供するための補助手段として考えていかなければならないのではないだろうか。

ただし、電子化が必要だからといってやみくもに電子カルテ化するという方向には疑問を感じる。電子的なデータを作成するための労力が大きすぎるし、データの保存性や、災害時のデータの保守性に疑問が残るからだ。

医療のシステムを電子化するにしても、問診票から簡単な病歴を作成し、鑑別診断を列挙するなど、ハッキリとした省力化とエラー防止効果が期待できるものについて、充分に実地診療で使い込んでから広める必要がある。何でも思いつきで電子化するのではなく、使えるシステムを本気で検証しないと、無駄な費用がコンピュータ業界へ流れて行くだけになるだろう。

また、書物の知識だけでなく、経験が重視される医療現場の情况をうまくシミュレーションするようなプログラムや教材はコンピュータ化する有望な分野だろう。新人の医師や看護師にたいするそのような訓練を充分に与えたら、一戦のスタッフはより診療に集中することができる。たとえは悪いが、アメリカ陸軍の徹底したシミュレーションプログラムによる訓練を受けた新兵だけの部隊が、5倍の人数のイラク兵を撃退したという例もあるのである。

今のように経済の面からだけ、医療の構造改革をすすめていったら、未来の医療は心寒いものになるだろう。現にイギリスでは医療費抑制のための改悪をすすめたために、適切な医療が受けられなくなっている。髄膜炎で死亡する幼児が多く、胃がんの手術のための入院が6か月待ちになるなど、今の日本からは信じられないような状態になってしまっているのだ。医療の改革は医療システムそのものの構造改革を含めて考えなければならない。また、その改革は現場を知らない有識者の意見だけではなく、現場からの「カイゼン」活動からくるアイディアを積極的に採り入れていかないと、かえって、非効率な意味のない改悪になってしまうだろう。
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by tnomura9 | 2005-11-03 03:54 | 話のネタ | Comments(0)
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