『ドラゴン桜』に刺激されて、学習法について長々と書いてきたが、ついにネタが尽きた。
要するに、上手な学習法とは、不必要なことは憶えないことに尽きる。何を何のために学習するのかということをはっきりと自覚することだ。努力すれば、多少のことなら、誰でも憶えることができる。でも、必要のないことを憶えても活用できなければ、努力は水の泡になるのだ。 知識はただでは手に入らない。何を代償にするかというと、それは、自分の時間なのだ。人間は皆、時間については大金持ちなのだ。時間ならいくらでも費やすことができるし、死ぬまでは、後から後から湧いて出てくるように利用することができる。ボーっと畳に寝っ転がって過ごすのは、本当はすごく贅沢なことなのかもしれない。 いろいろ考えていると学習法なんか考えているのがあほらしくなってくるので、さっさとまとめて見よう。
要するに、当たり前のことだが、当たり前のことなのに忘れてしまって無駄な努力をしていることも多い。自然体で楽しく勉強しよう。
by tnomura9
| 2005-10-12 21:48
| 考えるということ
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