パナソニックは「負け組」か?

巨額の赤字を計上したパナソニックの社長が「自分たちは負け組だ」と発言したため、パナソニックの株がストップ安になったそうだ。巨大な企業が自分の思うとおりに動かなかった悔しさが発言させたと思うが、迂闊な発言だ。こういう人をトップに選出したところに現在のパナソニックの問題がある。

竹島問題や、尖閣問題から中国や韓国の経営の失敗を追いかけてみたが、シャープやソニーやパナソニックを見ていると、日本も大差ないなという感じがする。悠々と中国や韓国が自滅するのを待つなどというゆとりはないのではないだろうか。足元に火がついているのではないかという危機感も必要だろう。

中国の王朝の交代劇や、ローマ帝国の滅亡をみると、永遠に続くと思われた支配があれよあれよという間に崩壊していくのは、そこに必然的なメカニズムがあるのではないかと思ってしまう。

パナソニックほどの企業が転落するからニュースになるのであって、それほどの規模でなければ、日常的に企業の興隆や倒産はおきている。また、これらの企業が倒産したからといって、日本の経済全体が沈没してしまうとは誰も考えないだろう。新興企業が興隆するのは理由があるし、かつて盛んだった企業が倒産するのもそれなりの理由があるからだ。

これらの会社の新陳代謝が、全体としてその国の経済を維持していければ、個々の会社の倒産はそれほどの経済リスクにはならない。むしろ、新陳代謝が活発になることによって、社会全体としての活力が保たれると考えることができる。しかし、パナソニックが倒産すれば、その日本社会にたいする影響は計り知れないだろう。

パナソニックの事例には、どの巨大企業についても共通の問題がある。それは、技術力や販売力などの企業としての力と、その企業を統治していく資金力とを分けて考えなければならないということだ。パナソニックが巨額の損失をだしたとしても、それが、パナソニックのこれまで積み上げた技術力や販売力がなくなってしまったというわけではない。

バブル崩壊で日本企業からリストラされた人材が、その後の韓国や中国の興隆の担い手となったのは、よく聞く話だ。結局のところその人たちの技術力や販売力を日本企業の経営者は活用できなかったのだ。

学生の就職活動でも大企業は人気があるが中小企業は人気がない。給与などの待遇面の問題もあるだろうが、中小企業の継続性に対する不安や、中小企業では自分の思っている高度な研究や開発がやれないという事も大きいだろう。

しかし、大企業にあって中小企業にないものは単に資金力なのだ。資金力は大きな力を持っている。タイの通貨危機に見られるように、一国の運命を変えるほどの力を発揮することもある。したがってどんなに技術力があっても、資金という燃料が供給されないと思うような成果が現れない。そのため、資金力に過剰な期待がかかることになる。資金があれば、なんでもできるという発想になってしまうのだ。

たとえば、現在は資金を浪費するだけのようにみえて、将来的に爆発的な発展をする技術があるとする。この場合は、目先の利益のために資金をひきあげることで、将来の大発展の芽を摘んでしまうことになる。資金力はこのような育てる力を持っている。

逆に資金があればとうに潰れてしまってもいいプロジェクトを延命させる事ができる。しかし、元々そのプロジェクトの存在意義がないために収益が上がらないものにどんなに資金をつぎ込んでもやがては破綻してしまうだろう。

資金にはこのように諸刃の剣の面があるのだ。経営といっても、本質的にはこのような資金の割り振りを決めるということだけなのだ。

巨大企業になると経営陣が現場の状況を熟知するということはできなくなってくる。したがって資金の配分を決めるにあたっては間接的な情報に頼るしかなくなってくるのだ。それが成長する部門、衰退する部門の見極めにエラーが出る危険性を大きくしている。

中小企業で活躍している企業の多くは、社長が現場の事情をよく把握しているのではないかと思う。経営の難しいところは現在の状況ではなく、少し先の状況に対する判断力が必要とされるところだ。この判断が当たっていれば、会社は伸びるし、判断が誤っていれば倒産の憂き目にあう。中小企業の場合、その皮膚感覚的な判断ができやすいので、興隆する会社が現れてくるのだろう。

未来のことはだれもわからないので、経営判断に絶対はないはずだ。したがって、判断が当たっている会社が残り、判断の誤った会社は退場して、社会全体としての活力が保たれる。

実はこのような、登場と退場のメカニズムこそが、社会の全体の経済活動を健全にする本質的な要素なのだ。巨大企業は資金力という武器を持ったために、このような企業活動の新陳代謝が働かなくなってしまっていると考えていいだろう。

このような巨大企業の問題を解決するために、以前に社内カンパニー制が導入されたことがあるが、同じ市場を同じ企業の異なるカンパニーが奪い合ったり、同じような開発を複数のカンパニーが行うといった非効率性が明らかになり廃止になったようだ。しかし、これは、立ち行かなくなったカンパニーを親企業が吸収しようとしたためにうまく行かなかったのではないかと思う。社内カンパニーであれなんであれ、失敗した場合は自己責任で倒産させるという尻尾切りのシステムにすればうまくいったのではないかと思う。

大企業の経営トップは、このような企業活動の登場と退場のメカニズムを、資金力でゆるく統治するほうが安全性が高いのではないだろうか。企業の命運を担うようなプロジェクトを経営トップが決めれば、それが失敗した時の影響は大きすぎるのではないか。成功すれば儲けもの、失敗すれば潰れれも影響ないという状況でゆるく管理しておいて、大きなうねりになりそうな事業に重点的に資金を供給するようにすればいい。

大企業の枠組みで成果を上げたという人より、社内中小企業の社長として頭角をあらわした人材を取り立てて次第に大きな事業を任せてみればいい。そのなかから経営のトップを選んでいったほうが、失敗の危険性が少なくなるのではないだろうか。

企業の寿命は10年とか20年とか言われている。判断の誤りの危険性は毎日あるから、10年もすると致命的な誤りが出てくると考えれば納得できる。しかし、それらの細胞が常に登場と退場の新陳代謝を起こしていれば全体的な活力は却って上がってくる。大企業と言えども全体が一つの細胞になってしまえは、破綻する危険は大きくなるだろう。図体が大きいという利点を生かして、新陳代謝を吸収できる統治体制にすることが大切だ。

中国や韓国の危険性も巨大企業と同じところにあるのではないだろうか。独裁政治や過度の企業の選別のせいで、全体として倒れてしまうという危険性が増大してしまうということだ。
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by tnomura9 | 2012-11-03 11:14 | 話のネタ | Comments(0)
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