今度の尖閣諸島に関する中国のデモの暴徒化をみて感じたのは、治安という目に見えないものが大きな資産であるということだ。今度の暴動で日本企業の受けた被害は大きいが、報道されていないが、それ以上に中国国民の受けた被害も大きかったのではないだろうか。壊された日本料理店や日本製品の販売店の経営者や従業員の多くは中国国民ではなかったかと思われる。
さらに、今回は日本の企業や製品に矛先が向けられたが、それは、いつでも自国の富裕層に対して向けられる刃でもある。貧富の差が拡大すれば、貧困層のいらいらは募るだろう。恒産なければ恒心なしで。守るものが何もないと感じたら大胆な行動に移るのにもブレーキがかからない。力で抑え込もうとしてもその効果には限界があるだろうし、コストも増大する。社会福祉は思いやりだけではない、社会の安全装置でもある。 最近、長崎にキャノンのデジカメの工場が誘致されたが、当初期待されていた1000人の雇用は、蓋を開けたら100人規模に過ぎなかった。しかし、そうであっても事業税などの税収入は増加する。これから先、工場の建設が雇用を増加させるという期待は持たないほうがいいのではないだろうか。生産技術の向上で、工場からはますます人間がいらなくなってくる。人間が要らなければ、投資リスクの大きい中国から日本に工場を回帰する戦略も考えられるだろう。しかし、そうなっても雇用はあまり増加しない。 したがって、工場の稼動による利益の再配分は雇用という形ではなく、福祉という形に転換させなければならない時期が来るに違いない。そうして、福祉に出費する最大の理由は治安の維持になると思われる。大多数の国民が特に不満なく生活できれば、それだけ、工場や店舗が破壊されたり略奪されたりする危険性が減る。経済活動の安全保障としての福祉の重要性は疑いない。 社会保障費の増大という現象には、安全保障のメリットという観点からの考察が必要だ。
by tnomura9
| 2012-09-21 09:18
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