学習の方法論を考えるときにすぐに思いつくのは受験勉強の勉強法だ。本屋やインターネットを探すといくらでも見つけだすことができる。しかし、管理人の場合それらを読むとなぜか息苦しくなってすぐに読むのをやめてしまう。
大学受験の時の苦しい思い出を思い出すのが嫌だとか、ただで読めるのはここまで後は金を払ってくださいというような商業主義の雰囲気が嫌だというような、ガラスで爪をひっかくような感情的な抵抗もあるが、もうひとつは、それが試験問題の正答をだすという目的に特化されているからだ。 たとえば、数学の問題の解き方として「問題のパターンを見つけて公式を素早く思い出すのが大切だ」と勧めているものがある。公式の意味などは必要ない、問題の答えを導き出す公式を効率的に思い出せないと、問題数の多いマークシートの試験問題を捌くことはできないからだそうだ。これは間違いではない。受験には有効だ。短時間のうちに多くの数学の問題を解くために特化された方法だからだ。 しかし、この方法で数学を身につけてしまったら、数学の問題集ではない現実の解答のない問題にあたったときに、数学の知識を活用することはできないだろう。数学は問題を解くことも大事だが、むしろ、何が問題なのかを考えることのほうが大切だからだ。 受験勉強の勉強法が息苦しく感じられるもう一つの理由は、それが知識を全て頭の中に記憶することを想定されていることだ。最近感じるのは、脳の許容量の有限性だ。「脳のシナプスの数を計算すると宇宙の星の数に相当する。だから脳は無限なのだ。」という説明があるが、そう単純な話ではないだろう。 時々、記憶を忘れることができない病気の人の話を聞くことがある。先天性の場合もあるし、記憶事項を視覚化することで忘れないようにする記憶法を練習していってそうなる人もあるらしい。いずれの場合にも突然に過去の情景がありありと浮かんできて現実と区別がつかなくなり、日常生活にすら支障をきたすということだ。このことから、忘却は記憶の重要性を整理して、記憶の活用に脈絡をつける働きをしているのだという考え方もできる。 しかし、単純に脳の容量を節約するために瑣末なことは忘れるようになっていると考えることもできる。自然のはたらきとして脳を酷使しないようになっているのだ。 全てを頭の中に詰め込むというのはあまり有効な方法ではない。 それでは学習の目的はなんだということになるが、それは、「必要なものを必要なときに取り出すことができるようにする」ということだ。さし迫って抱えている自分の問題を解決するための手段を適切な期限内に見つけだすということなのだ。 たとえば、HTML のフォームから JavaScript でフォームのデータをとり出さなければならないという問題が発生したとする。その際に、タグの id 属性を設定しておけば JavaScript で id を利用してタグの値を取り出せるはずだという漠然とした知識があれば、あとはキーワードで Google 検索してプログラム例を見つけ出してプログラムを作ることができる。随分脳の節約になるのではないだろうか。 全てのものを頭の中に詰め込むのが目的ではなく、必要なものを探しだすことができるようになることが大切だ。 JavaScript について全く知らなければ、id 属性で値が取り出せることを思いつくことはできない。しかし、JavaScript の概要を知ってサンプルプログラムなどを作った経験があれば、その細部の細かいことは忘れていても検索で取り出せればいいのだ。脳を節約するための学習法は、情報の概要と意味を知ることに重点を置くべきで、細部まで記憶することではない。しかし、細部はいつでも取り出せるという状況にしておく必要がある。 つまり、脳のを上で述べたようなやり方で使うことによって、コンピュータを外部脳として使うことが出来るようになる。もちろん、グーグルは便利だが、それだけに頼ることはできない。自分のデータベースとしてのコンピュータの記憶を活用できる環境を作り上げることが大切だ。 科学の進歩によって、扱う必要のある情報が爆発的に増えている。そのような中で有限な脳の能力がどこまで対応できるようになるのか心配になっていた時があるが、ここに一つの解答があるような気がする。有限な脳の容量を補うための外部脳を開発すればよいのだ。また、そういうことが可能な時代になってきている。 そう考えると、大学受験は無理だが入社試験などはパソコン持ち込みネット接続可能な状態で試験をすればいいのではないだろうか。そうすれば受験者が何を記憶しているかではなく、何を探し出すことができるかを調べることができる。そのほうが即戦力になるのではないだろうか。 大切な自分の脳を壊さないように、脳には必要なものだけを入れるようにして、コンピュータを外部脳として活用することが大切だ。
by tnomura9
| 2012-03-27 07:23
| 考えるということ
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