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論理哲学論考の文番号

『論理哲学論考』を読んでまずびっくりするのは、各文の先頭に打たれた謎の番号である。藤本隆志/坂井秀寿訳 法政大学出版部の版の解説にも次のように書いてある。

およそ哲学の著作のうち、『論理哲学論考』ほどふう変わりな書は、類を見ないであろう。それは一見したところ、番号を打たれた、たがいに何の脈絡も持たぬアフォリズムの集積にすぎない。


しかし、この番号は各文の階層構造をあらわしていることが最初のページの原註に説明されているのだ。

個々の命題の番号として付けられた小数は、その命題の論理的な重要性、つまりわたしが叙述にさいして強調した度合いを表している。n.1、n.2、n.3、等の命題はn番目の命題に対する註であり、n.m1、n.m2、等の命題はn.m番目の命題に対する註となる、といった具合いである。


つまり、『論考』はスレッド式掲示板の要領で書かれているのだ。ヴィトゲンシュタインは実に几帳面に自分の頭の中にある命題の構造を書き表していたのだ。したがって、『論考』は最初から順に読むべきものでなく著者が明示した命題の構造に沿って読むべきなのである。たとえば主な命題とその一階層だけ下の命題を抜き出してみると次のようになる。

1 世界は、成立している事柄の全体である。
1.1 世界は事実の寄せ集めであって、物の寄せ集めではない。
1.2 世界は事実へと解体する。

2 与えられたことがら、すなわち事実とは、いくつかの事態の成立にほかならぬ。
2.1 われわれは事実の映像をこしらえる。
2.2 映像は描写の論理形式を被写体と共有する。

3 事実の論理的映像が思考である。
3.1 思考は、命題において、知覚可能な表現となる。
3.2 思考の対象に文-記号の要素が対応するような具合に、思考を命題で表現することが出来る。
3.3 命題のみが意味を持つ。命題の脈絡においてのみ、名辞は意義をもつ。
3.4 命題は論理空間の中に、ある位置を指定する。この論理的場の存在は、ひとえに命題の構成要素の存在により-有意味な命題の存在により-保証される。
3.5 適用され、考えらた文-記号が思考である。

4 思考とは意味を持つ命題のことである。
4.1 命題は事態の成立・不成立を述べる。
4.2 命題の意味とは、事態の成立・不成立の可能性とその命題との、一致・不一致にほかならない。
4.3 要素命題の真・偽の可能性は、事態が成立ないし不成立である可能性を意味している。
4.4 命題とは、いくつかの要素命題の真・偽の可能性との、一致・不一致の表現である。
4.5 いまや、最も普遍的な命題形式をかかげることができそうに思える。いいかえれば、どの可能な意味も、それに対する記述に適合する一個のシンボルによって表現でき、さらに記述が適合するどのシンボルも一つの意味を表現することができる、そのように適宜名辞の意義が選択されたなんらかの記号言語について、その命題を述べることができそうにおもえる。(以下略)

5 命題は、要素命題の真理関数である。
5.1 真理関数は、順序をつけて配列できる。
5.2 命題の構造は、たがいに内的関係にある。
5.3 すべての命題は、要素命題に真・偽操作を適用した結果である。(以下略)
5.4 ここにおいて、「論理的対象」「論理的定項」は、(フレーゲやラッセルが考えている意味では)存在しないことが明瞭となる。
5.5 いかなる真理関数も、要素命題に対してNAND操作を連続的に適用した結果である。
5.6 わたくしの言語の限界は、わたくしの世界の限界を意味する。

6 真理関数の一般形式・・(数式省略)・・は命題の一般形式である。
6.1 論理の諸命題は、同語反復(トートロジー)である。
6.2 数学とは、一つの論理的手続きである。数学の命題は等式であり、それゆえ、見せかけの命題である。
6.3 論理の探求とは、あらゆる合法則性の探求を意味する。そして論理の外にあるものはすべて、偶然である。
6.4 全ての命題は等価値である。
6.5 いい表すすべのない答えに対しては、また、問いをいい表わすべを知らぬ。「これが謎だ」といえるものは存在しない。そもそも、ある問いが立てられるものなら、それに答えを与えることもまた可能である。

7 語りえぬものについては、沈黙しなければならない。


これをざっと見ると、ヴィトゲンシュタインの考えのアウトラインが次のようなものではなかったのではないだろうかと思われる。つまり、

世界は命題で記号化できる。世界と命題の体系の間には論理形式についての相同性がある。命題の体系で行われる論理操作はすべて同語反復(トートロジー)である。したがって、命題の真偽は本質的に要素命題の真偽に依存する。要素命題の真偽については、命題の論理的体系は何も語ることが出来ない。したがって、論理は世界の真偽について何も語らない。


ということである。
by tnomura9 | 2005-08-13 12:05 | 考えるということ | Comments(2)
Commented at 2009-06-18 00:49 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by bunbun at 2009-06-18 10:24 x
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