ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の本文の分かりにくさにもかかわらず、彼が主張したところの結論は分かりやすい。
語りえぬものについては、沈黙しなければならない。 という結論で、何を言おうとしたかは、彼自らの説明がある。 6.53 哲学の正しい方法とは本来、次のごときものであろう。語られうるもの以外なにも語らぬこと。ゆえに、自然科学の命題以外なにも語らぬこと。ゆえに、哲学となんのかかわりももたぬものしか語らぬこと。----- そして他のひとが形而上学的なことがらを語ろうとするたびごとに、君は自分の命題の中で、ある全く意義をもたない記号を使っていると、指摘してやること。この方法はそのひとの意にそぐわないであろうし、かれは哲学を学んでいる気がしないであろうが、にもかかわらず、これこそが唯一の厳正な方法であると思われる。 つまり、厳正に論理学を用いる限り、形而上学について述べようとすると、意義を持たない命題( 真とも偽とも言えない命題)を仮定として使用せざるを得ないのだということだ。 このことに関連して思い出すのは、「形式的体系は自らの記号で自分の無矛盾性を証明することは不可能である」というゲーデルの不完全性定理である。この定理は、帰納的方法で記号を使って論理体系を構築しようとすると、どうしても自己言及的な命題が発生して、その影響でその体系自身の無矛盾性をその体系の記号では証明できないという定理だ。論理学という言葉を使って世界を記述しようとした場合の限界をあらわしたという意味では『論理哲学論考』の主張と似たものがあるように思える。 ただし、ヴィトゲンシュタインはゲーデルの証明は読んでいないようである。いずれにせよ、絶対確実なものと考えられていた論理学についてその力の及ぼす範囲の限界について述べたものとして、『論理哲学論考』は画期的なものだった。 まあ、論理学は万能ではないんだよとヴィトゲンシュタインが言ったということくらい知っていれば、形而上学を語る友人に、「あなたの主張は根拠の無い命題を必ず含んでいるのだ」と教えて煙に巻くことができる。
by tnomura9
| 2005-08-11 07:57
| 考えるということ
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Comments(1)
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by
言葉の量化と数の言葉の量化
at 2020-09-26 14:06
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≪…自然科学の命題…≫(認知科学)の自然数を含む言葉(言語)の文脈(命題)の量化から数の言葉(自然数)の量化への変換は、三分岐する。
『離散的有理数の組み合わせによる多変数創発関数』は、[全称量化式][存在量化式 Ⅰ] [存在量化式 Ⅱ]に生る。 これは、言葉(言語)の[点・線・面]の記述表現の限界を数の言葉(自然数)は、[円]と[ながしかく](『自然比矩形』)に捉えている。 これが、 自然数 ⇔ 数学 の【原子命題】として、 ≪…語りえぬものについては、沈黙しなければならない。…≫で、【数学】の[言葉]が[トートロジー]であるが、【事実】【事態】を[説明】する[道具]となるモノと観る。 『自然比矩形』は、言葉(言語)の獲得の『眺望』として、絵本「みどりのトカゲとあかいながしかく」スティーブ・アントニー作・絵 吉上恭太訳 に、 数の言葉(自然数)の獲得の『眺望』として、絵本[もろはのつるぎ」(有田川町ウエブライブラリー) に・・・
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