ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』は古典だ。しかし、これほど分かり難い古典は無い。頻繁に引用されるにもかかわらず、誤解だと思われる引用の方が多いような気がする。その分かり難さゆえに神秘的と称されることもある。
実際は、この本が取り扱っている領域は、現代の記号論理学の言葉できちんと表現できるのではないだろうか。ウィトゲンシュタインがこの本を書いた頃は、フレーゲが記号論理学を考案したばかりの頃で用語の定義や概念が確定していなかった時代なのだ。したがって、現代の記号論理学の専門家がわれわれにも分かるような形でこの本を翻訳してくれれば、ウィトゲンシュタインが神秘的なことを語っているのではなく、論理的に考えるということはどんなことかを徹底的に考え集大成していたのが分かるのではないだろうか。 この世界は、命題で記号化されるが、命題に写されるのは、世界そのものではなく、世界の論理的構造なのである。命題の記号の体系の構造が、世界の構造と対応するのである。したがって、命題の記号体系で表現できないものを記述することは出来ない。驚いたことに論理形式そのものは、記号体系で記述できないのである。たとえば「この命題は真ではない」という命題は真とも偽とも言うことが出来ない。ゲーデルの不完全性定理や、タルスキーの真理概念に見られるように、自己言及のできる記号体系では、真であるという述語を持つとその体系に矛盾が発生してしまうのである。論理的思考、すなわち、命題の記号体系はそれ自身が真であることを語ることが出来ないのだ。また、自己言及ができなければ、当然、自分自身について語ることはできない。 「語りえないものについては、沈黙しなければならない」。これが、全ての形而上学にたいしてのウィトゲンシュタインの答えなのである。
by tnomura9
| 2005-08-08 00:00
| 考えるということ
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