古代ギリシアの哲学者ゼノンは「飛んでいる矢は飛んでいる間中静止している」と主張した。その論拠は次のようになる。
(1)どんなものも、ある瞬間に、ある一つの場所を占める場合、静止している。 飛んでいる鳥を遅いシャッタースピードで撮影すると、ぼやけた像しか撮れない。シャッターが開いている時間の動きが重なって写されるからだ。早いスピードでシャッターを切ると鳥が空中で静止したような写真がとれる。遅いシャッタースピードの写真とはまるで違う写真のように見える。これを見ると、動いている鳥も瞬間には静止しているのだなという感じがする。 しかし、どんなに鮮明な画像が取れたとしても、高速度シャッターの写真も本質的には低速度シャッターの写真と同じなのである。ただシャッターが開いている時間が短いために、重なる画像のずれが少なく、見かけ上静止して見えるだけなのである。それではシャッタースピードをどんどん早くしていけば瞬間の画像を撮ることができるのだろうか。それは、不可能なのだ。 シャッターが開く時刻と閉じる時刻との間に差があれば、その間にどんな小さい時間であっても時間が経過する。どんな小さい時間であってもシャッターの開閉の間に時間があればそれは瞬間をとらえた像ではなく、瞬間の像の重なりを撮っているにすぎない。 瞬間の像を撮るためには、写真機のシャッターは開くと同時に閉じていなければならない。しかし、シャッターが開いていると同時に閉じていることは出来ないし、不合理である。したがって、どんな写真機も飛んでいる鳥の瞬間の写真を撮ることは不可能なのである。 どうも瞬間という概念には注意しなければならないようなのである。ゼノンのパラドックスは無邪気にか、意識的にか、ゼノンが瞬間という概念を無定義で使用したためにおこる現象なのではないだろうか。
by tnomura9
| 2005-08-03 22:12
| 考えるということ
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