勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。

野村克也監督の名言で「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。」という言葉があるそうだ。

この言葉でGoogle検索すると、「運を期待することはできないのだから、コツコツ努力することが大切だ。」とか、「人間うまくいったときは自分の力でできたと思い、失敗したときは運が悪かったと思いやすいが、その反対を考える必要があるのだ。」とか、「負けたときはその原因を突き詰め、勝ったときにも負けにつながる要因があったかもしれないので常にマイナスを少なくするという考え方が必要だ。」とか、いろいろに解釈されている。

しかし、これは元々肥前平戸藩の第9代藩主で、心形刀流剣術の達人だった松浦静山の書いた『常静子剣談』からの引用だそうだ。あまりに、いろいろな解釈があるので、Googleで原著がないかと探したら、あった。「勝ちに...」の部分を抜粋したのが下の引用だ。
予曰く。勝に不思議の勝あり。負に不思議の負なし。問、如何なれば不思議の勝と云う。曰く、遵レ道守レ術ときは其心必不レ勇と雖ども得レ勝。是心を顧るときは則不思議とす。故に曰ふ。又問、如何なれば不思議の負なしと云ふ。曰、背レ道違レ術、然るときは其負無レ疑、故に云爾客乃伏す。

どうも、道理にあった技を繰り出していれば本人がそれと自覚していなくても勝つものであり、負けたときは、技が道理に合わなかったからでその理由は反省すれば分かるものだという意味らしい。

このページには、その他にも静山の考え方が色々と述べられているが、非常にプラグマティックで面白い。現実的と言ってもいいのだが、プラグマティックといったほうがぴったりくる気がする。最近のテレビの放送を見ていると、与党も野党も識者と言われる人たちの言葉も観念的でおぼつかない。

わずかに、与謝野薫経済財政政策担当大臣の言葉が、分かりやすくて現実的だ。与謝野大臣が悪評にさらされるのは覚悟の上で大臣の責務を負ったのは、彼なりの日本の行く末に対する危機感があったからだろう。民主党は与謝野大臣をもっとメディアに晒して、国民に政策の必要性を理解してもらうべきではないだろうか。

明治維新の時代には、理想に燃える観念主義者とともに、徹底した現実主義者もいたような気がする。それが、剣術が教養のひとつと見なされ盛んであったためかどうかは分からないが、勝負という紙や口ではどうにもならない現実を肌で感じた人が多かったのかもしれない。
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by tnomura9 | 2011-02-12 18:47 | 考えるということ | Comments(0)
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