『Unblock Me』をやってみて、ブロックパズルのような非言語的知識に対して言語化することが、解法の発見と意味の理解に効果的だということを実感した。
ところが、今日参考書を呼んでいて、内容を要約として言語化することが同じような効用を持つのではないかと思いついた。確かに、段落ごとに、あるいは章節ごとに自分の言葉で要約してみると内容がよくわかる。言語化には自分の考えを他者に伝えるために表現するという役割以上の働きがあるのではないだろうか。 文章の内容を要約するためには、書かれている内容のどこが骨格となる本質的なもので、どこがその骨格を肉付けしている部分なのかを見抜かなければならない。また、どの記事は共通した性質をもっていて、どの記事は相反する性質を持っているのかとか、記事の間の因果関係はどうなっているのか、どちらが先行してどちらがその結果となっているのだろうかなど、色々と頭を使わなければならなくなる。そのため、要約を作らない時より作った後の方が内容の理解が格段に深くなるのだろう。 雑多な事象の中から性質の共通するものを見出してそれに命名するという抽象化の作業は、言語の本質的な機能だ。非常に重要で効用のある機能だ。このように強力な道具はもっと意識的に活用すべきだろう。
by tnomura9
| 2010-08-18 02:11
| 考えるということ
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