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医療改革

4月から診療報酬の改訂が施行される。医療資源の合理化のもとに、開業医の手数料は減らされ、勤務医の待遇改善と医療資源の合理化を目的に大病院の手数料は増額された。

一見合理的に見える改革だが、しかし、この方式では地方の医療がさらに壊滅的な打撃を受けるような気がする。この方式では、要するに医師を多く抱えた病院はどんどん経営が楽になり、医師不足に悩む地方の公立病院がますます成り立っていかなくなる結果になりそうだからだ。

したがって、医師はどんどん都市部の大病院に集まり、一方で地方の病院で少ない医師数で頑張っている医師たちは、疲労のために病院を去っていくだろう。勤務医にしても教育環境や情報の豊富な都市部で働く方が、その反対の地方で働くよりは利点が多いからだ。

医療資源の合理化は必要だろう。高度な技術を要する手術や進行癌の治療のような集学的な医療はある程度施設が集約されていた方がいいかもしれない。しかし、問題はそれを診療報酬の体系を変えることで、利益誘導的に、自然淘汰を行わせようとする方法だ。その方法だと、副作用のほうが甚大なのだ。

今度の医療崩壊の原因にしても、診療報酬の体系が引き起こしたのではない。研修病院の一種の規制緩和が、医師の分布の不均等を引き起こしたためで、診療報酬以外の制度の失敗が原因なのだ。

一方でほとんどの公立病院が赤字である理由の責任は、診療報酬の体系にある。赤字に成らざるをえないほど不十分な診療報酬しか支払われていないからだ。同じ条件で民間病院はやっていけているではないかと言うかもしれないが、民間病院は不採算部門は切り捨てることができる。公立病院は性質上不採算部門を必然的に抱え込まないといけないのだ。そうでないと、公的病院である意味がない。税の控除をしても公立病院が運営できないと言うことは、運営できない診療報酬しか設定されていないと言うことなのだ。

一部の放漫経営による赤字なら経営の責任だろうが、大半の公立病院が赤字であるとすると、それは、診療報酬の決め方に問題があるのだと考えたほうが自然だ。

今度の選挙で自民党が敗退したのは、医療や年金などのセイフティーネットの政策の失敗からだ。特に、地方の医療が壊滅的な打撃を受けたのが大きいのではないだろうか。故郷で安心して暮らせないという状況を作り出してしまったからだ。

財務省や厚生労働省には「医療費亡国論」という考え方があるそうだ。財を生産しない医療費をこれ以上増大させたら国の経営が破綻するという考え方だ。しかし、この考え方では、労働に従事しない障害者や老人には医療はいらないという考え方につながって行かないだろうか。そんな社会になってしまったらどんなに人の心が荒廃するだろうと思うと寒気がする。

医療には商業主義的な競争原理とは別の視点が必要だ。現在の医療の問題は、すべてのものを金に換算して考えると言う拝金主義的な物事の抽象化が関与しているのではないだろうか。全てを貨幣に換算してしまうと、個々の現場の独自性は失われてしまう。個々の現場の特質を考えた、貨幣による経営とは別の視点からの経営が必要なのだ。

ものづくりには、資金で抽象化できない細部の知識や経験が必要だ。日本人の考え方が、貨幣根本主義に染まってしまったら、日本という国のシステム全体の変調が起きてくるのではないだろうか。
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by tnomura9 | 2010-04-02 08:07 | 話のネタ | Comments(0)
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