ちょっとした自由な時間ができたときは、いろいろなブログを読むのが楽しみだ。
RSSは使っていないが、ブックマークに登録したブログを何となく読んでいる。頭がつかれているときは、難しい内容の文章はだめだし、気力がある時は、思わぬ発想を知ることのできる文章の方がいいときもある。また、毎回同じ人のブログを読むときは、一連の記事から著者の考え方の傾向や趣味を推測するのが面白い。 いろいろなブログを読んでいて気がついたのは、意外に書評や映画の評論の文章が面白いことが多いということだ。 自分のことを考えても、いろいろな事にたいして自分の意見があるが、やはり、一連の傾向がありそう多面的に展開しているわけではない。自分の頭の中や経験からだけ文章を書いているとどうしてもマンネリになってしまう。 ところが、書評の場合は、原典の著者の意見にたいして、ブログの著者の評論が書かれるため、本の著者の意見とブログの著者の意見がぶつかり合って二重に面白い。アーモンドグリコキャラメルの宣伝文句のように「一粒で二度おししい」のだ。これに、ブログの著者はこういう風に批評しているが、原著の意図はこういうことではないのだろうかという自分の意見も加わると、三度おいしくなる。 「考えること」というカテゴリで記事を書き始めたのは、最初は実務的な発想だった。大量の情報をどう処理すればいいのだろうか、仕事の問題解決のためにはどういう思考法で望んだら良いのだろうかなどというノウハウ的な興味が主だった。 しかし、考えるということはなにかと考えているうちに、それは、ある問題を焦点に据えて、それから派生することや、その問題の発生した原因などをあれこれと探索して、その問題を中心とした情報の有機的な構造物を作ることだという考えに至った。 その際に大切なのは、情報の質に偏りがないということだ。可能な限り多面的に問題を検討することによってその問題の本質が見えてくる。このためには、自分の頭の中身だけでは絶対に不足で、どうしても他の人の頭の中身を借りてくる必要がある。異質な考え方がぶつかり合ってこそ、問題の本質は姿を現すようだ。 ひとりで仕事をしているとなかなかこの様な創造的な討論にめぐり逢うことがないが、ブログの書評はそういう討論の片鱗を見せてくれるようで面白く感じるのだろう。
by tnomura9
| 2009-11-15 09:32
| 考えるということ
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